巨大花火を打ち上げた幻の「丸子多摩川大花火大会」とは?
ココがキニナル!
大正から昭和40年ごろまで、多摩川の丸子橋付近で「丸子多摩川大花火大会」と呼ばれた花火大会があったそうです。当時の花火大会の様子や、花火大会が行われなくなった経緯を知りたいです(ねこぼくさん)
はまれぽ調査結果!
1925(大正14)年から1967(昭和42)年まで盛大に開催された「丸子多摩川大花火大会」は、周辺の交通量増加により廃止になった。
ライター:岡田 幸子
「丸子多摩川大花火大会」はどんな様子だった? (つづき)
花火にはそれぞれ名前が。「百花繚乱」小澤宏和氏撮影(日本煙火協会提供)
「花火が上空で破裂したときに星が球形に飛び散る割物花火をはじめ、花火玉にはそれぞれ名前がつけられています。玉名と呼ばれるこれら花火のタイトルを見れば、どんな花火だったかが分かるのです。例えば“白菊先変化”とあれば白い菊型に広がったのちに、発色している火薬である星の先端部で色が変化するもの。“菊先二化”なら炭火色の星の先端部で2度色が変わるといった感じです」
「“真月”では、開いた花火の中央に星が残ります。パンフレットに“真月菊先紅銀乱”とありますが、菊の中央に星が残って花弁の先は紅色に変化、その先がさらに銀色にきらめく様子が目に浮かぶようです」
定番の菊や牡丹だけでなく、花火にはさまざまな種類が(日本煙火協会提供)
現代の花火大会では珍しい昼の部も、当時は当たり前の存在だったようだ。雷のような音が5回連続で鳴る「五段雷(ごだんらい)」や音が立て続けに鳴る「万雷(ばんらい)」、落下傘で発煙筒を吊って色煙で空に竜を描く「煙竜(えんりゅう)」など、趣向を凝らしたさまざまな花火が日のあるうちから大会を盛り上げた。
「“日本国旗”や“赤十字旗”とあるとおり、空に電線が張り巡らされた昨今では打ち上げが難しい“旗もの”も多数打ち上げられたようですね。“煙火から出たものを本部にお届けくだされば商品を呈します”というプログラムも多数で、子どもたちがこぞって参加したことでしょう」
会場となった多摩川河川敷を、子どもも大人も駆けまわったのだろう
プログラムには「新宿東横ピカデリー劇場」や「新橋メトロ映画劇場」など名が連なり、これら施設によって入場券などの商品が多数用意されたようだ。
「何より、この花火大会では各日の最終プログラムとして二尺玉が打ち上げられています。住宅が密集する現在の多摩川沿岸では考えられないことですね」
現在、首都圏の花火大会ではなかなか見られない二尺玉も(東急電鉄提供)
二尺玉とは直径約60cmにもなる花火玉だ。玉が開いた直径は約450メートルにもなる。首都圏の現行の花火大会で打ち上げられるのは、5号玉くらいまでのサイズが主流だという。
ド◯カムの吉田◯和氏が「間近で見て瞬きを忘れた」と歌ったのは10号玉。二尺玉は号数換算で20号玉になるので、単純に考えて倍の迫力だ。
「丸子多摩川大花火大会」の目撃者は?
「二尺玉どころか、三尺玉も上がっていたよ。メイン会場の河川敷ではなく“東横池”のほとりで打ち上げられたんだ」とは、東急東横線新丸子駅前の医大モールでバーバーショップ小野を経営する小野基一(おの・きいち)さんのお話。
幼少期から「丸子多摩川大花火大会」を毎年楽しみにしてきたという
“東横池”は現在の等々力緑地内に広がっていた7つの池の総称で、現在では5号池の一部が釣り堀として残されている。三尺玉は直径80cmを超える花火玉で、上空では直径600メートルにも広がる。この規模の大玉を打ち上げるには、8万坪にも及んだと言われる広大な“東横池”がうってつけだったのだろう。
1935(昭和10)年ごろの付近。赤丸が大会会場、黄丸あたりに東急池が(小野基一氏提供)
「開催に先駆けて丸子橋上流の河川敷に設置された桟敷(さじき)では、私たち子どもらが駆けまわって遊んだものです。花火大会の当日は朝から“信号雷(しんごうらい)”が響いて、町中がそわそわ。日のあるうちから煙や音だけの花火や、旗、落下傘なんかが出てくる花火が打ち上げられるから、子どもらは終日楽みましたよ」
花火大会会場となった丸子橋上流付近の河川敷
開催時にはこのあたりに桟敷席が設けられたという
人々が花火大会を心待ちにした様子がうかがえる。子どもも大人も老若男女が楽しめる花火大会の魅力は、今も昔も変わらないようだ。
写真が趣味だったという小野さんのお父さま、小野滝蔵(おの・たきぞう)氏による迫力ある花火写真で記事を締めくくろう。
川辺の空を美しく彩る大輪の花火、ぜひ見てみたかった(小野滝蔵氏撮影・小野基一氏提供)
取材を終えて
現存する資料が少ない「丸子多摩川大花火大会」だが、盛大に開催されて地域の人々を楽しませてきたことは確かなようだ。
例年、多くの人がこの日を心待ちにしたことだろう(小野滝蔵氏撮影・小野基一氏提供)
多摩川沿岸では、例年二子橋付近の両岸で8月下旬に開催される「川崎市制記念 多摩川花火大会」と「世田谷区たまがわ花火大会」に加えて8月15日前後に六郷土手付近で開催される「大田区制記念 大田区平和都市宣言記念事業 花火の祭典」もある。
毎週花火が楽しめた川辺の夏なんて想像するだに楽しげだ(小野滝蔵氏撮影・小野基一氏提供)
これらに8月上旬開催の「丸子多摩川大花火大会」が加われば、多摩川沿いでは毎週どこかしらで花火が打ちあがっていたことになる。そんなにぎやかな川辺の夏も体験してみたかった。
―終わり―
取材協力
公益社団法人 日本煙火協会
http://www.hanabi-jpa.jp/
川崎市経済労働局産業振興部観光プロモーション推進課
http://www.city.kawasaki.jp/280/page/0000060068.html
東急電鉄
http://www.tokyu.co.jp/
Ozokさん
2016年08月19日 15時09分
場所を示す写真の赤丸の中に実家がありますので,その盛り上がりを親からよく聞かされていました.ホントに大規模な大会だったのですね.様子を知れる嬉しい記事でした.私は花火大会を知りませんが,記事中の写真にシルエットで写る架替え前の東横線鉄橋や丸子橋は覚えており,懐かしいです.
にのみさん
2016年08月19日 13時07分
大田区制記念 大田区平和都市宣言記念事業 花火の祭典 は8/15前後でなくて 15日で決まってますよー終戦の日に絡めてやっていますよー
柴犬さんさん
2016年08月19日 07時38分
今の花火より楽しそう!これは大人も血が騒ぐ!