横浜に江戸街風情な街並はあるの?
ココがキニナル!
横浜というと昭和レトロ、大正ロマン、古い港町風情では有名ですが、江戸街風情はあまり聞きません。横浜の京都や萩のような江戸街風情な街並みポイントを知りたいです。(浜の住人さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
1945年の横浜大空襲のせいで、古い建物は壊滅状態。点在する江戸の名残は、住む人が丁寧に守り続ける姿が魅力的だった。
ライター:吉岡 まちこ
代々の豊かな恵みをつむぐように残す、平戸の代官屋敷。
江戸時代を間近に感じたあとは、さらに本物の江戸が残る場所を探しに行ってみよう。
東戸塚駅よりももっと手前だから、戸塚宿より保土ヶ谷宿のほうが近いかもしれない場所に、「境木立場跡」がある。
立場(たてば)とは馬子や人足の休憩所。坂続きのここでは、大名までが利用したと言われる本陣さながらの茶屋があった。その面影がここ。
手前は武蔵と相模の国境の木で、ちょっとした広場に整備されている
ここから谷を下った場所に、新撰組の近藤勇が安政5年(1858年)に立ち寄ったという道場があると読んだので、行ってみることに。
竹林の道が、なんだか京都の嵯峨野みたい
こんな看板も発見! ということは立ち寄れるのかな?
この先には「山の中の木の実・リース各種有ります」という看板も。ちょっとワクワク。
すると、立派な門が出現。江戸時代のものだそうだ。
「萩原代官屋敷・萩原道場跡」。慶応2年までに門下生が計225名もいた
萩原家は旗本杉浦家の代官職だった家柄。幕末の当主が直心影流の道場を開き、その剣客名簿に、道場巡りでやって来た近藤勇の名が残っている。
門をちょっとのぞくと…「雑木・竹工芸 工房 萩原」の文字が
中は木製品、竹、枝、自然素材の作品がいっぱいだった。
萩原家の歴史がわかる資料や古い写真の展示もしっかりされている。
家具も敷地内の素材から作られた作品。どれだけ広い敷地…
今の当主は、いかにも工芸作家風のダンディな方。奥様もアーティスティックな方だけれど、写真は無理ということで、とても残念。
「16代目とか17代目とか言われているけど、よくわからないんだよね(笑)。前はリース作りの教室もやっていたんだけど、最近は地域のイベントやコミュニティの仕事が忙しくて」(ご主人)
「嫁いだ当初は、家の周りにお濠があったんですよ」(奥様)と興味深い話を色々してくださる。
お忙しく留守のこともあるそうなので、伺うなら是非電話をしてから。
木の皮の花器や枝のオブジェも芸術的だが、リースの材料や切り口が綺麗な木片など手頃に買える物もいろいろあった。
器用なご主人は楽器まで制作。しゃれた木のフックは300円 |
庭で採れた面白い素材。左は数珠玉のような植物の実 右はそのまま、みの虫! |
忘れてはいけない。このギャラリー風の建物も歴史がある。代官屋敷の穀倉だった。
当時の物はこの梁と門だけだが、谷戸の奥座敷的なゆったりとした敷地が当時を物語る。
重厚な梁は江戸時代のまま
庭を案内してもらった。国産ミツバチが蜜を作っていた。夏には蛍が飛ぶ年もあるという。
門下生の名が刻まれた古い石碑は、道を隔てた向こうの林にあった。
庭に注ぐ山からの湧き水が、柏尾川の源流だそうだ!
■ 雑木・竹工芸 工房 萩原
横浜市戸塚区平戸 電話045‐822‐5110
戸塚宿に残るのは、普通に暮らす人家のみ。
桃源郷のような世界を後にし、旧東海道に出た次は戸塚宿。
市内の3つの宿場町の中で、古い建物がもっとも残って“いた”はずだったが、大踏切の工事の関係で、駅前はここ数年で原形をとどめていない。
古い建物だった元遊廓の「丁字屋」は閉店し、蔵のあった「松本酒店」、瀬戸物屋兼旅籠だった「茶碗屋」は、駅から続くショッピングモール「トツカーナ」のテナントに収まってしまった。
最後の頼みの綱だった和菓子店「田中屋」もビルになっていた。
ここから先はごく普通の個人のお宅になるので、場所は正確にはお伝えできないが、旧東海道を歩いてみるときっと出会える景色だ。
あまりに良い佇まい
家屋の隣に、鎌倉ハムの発祥のレンガ倉庫がある
もと旅籠だったと言われている
取材を終えて
小京都のような江戸情緒が漂う街並みはないが、探せば街の中に今も江戸時代の息吹を感じる場所はあった。
一歩足を踏み入れると、歴史を守り続けている人たちの大変さがひしひしと伝わってくる。外から眺めるだけでは決してわからない、貴重な体験だった。
明治・大正のモダンな横浜ばかりでなく、それまでの時代を支えてきた場所がもっと大事にされてもいいと、私も思った。
― 終わり ―
yabiさん
2011年11月24日 04時27分
今回担当させていただいたライターです。貴重なご意見ありがとうございました。horry様からご指摘がありました件に少しお応えさせていただきます。今回質問者様からのリクエストは「京都や萩のような街並み」を知りたいという内容でした。近世の建造物は寺院等も含めもちろん広い横浜市内にありますが、点在する一軒一軒をリストアップし羅列する資料性を求めるより、京都や萩とおっしゃっていたことから訪れて楽しい、そして体感できる場所を想定しました。よって本文中にもミーハーに徹しとお断り書を入れさせていただいた次第です。街並みという観点から、移築され公園化されたものも今回は省きました。その点を明記するべきだったと反省しております。ご参考までに古民家についてこちらの横浜市環境創造局のサイトで一覧できます。http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/rekishi/kominka/
horryさん
2011年11月23日 13時11分
>現状から先に言ってしまうと、哀しいけれど横浜には江戸時代の建物はほとんど残っていない。これは悲しいけれど大変な間違いですね。横浜市内でも、郊外へ行けば行くほど近世の建物は多く残っています。(確か、こちらのサイトでも長屋門公園の記事がありませんでしたか?)数棟セットで残っている場所もあります。鎌倉時代から残る建物もあります。大々的に行った調査と、その報告書もあります。記事を書き掲載する時に裏を取らないのかな?ここでは。