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京急と市営地下鉄の駅名が同じ「弘明寺駅」なのはまぎらわしい?

京急と市営地下鉄の駅名が同じ「弘明寺駅」なのはまぎらわしい?

ココがキニナル!

京急の弘明寺駅と市営地下鉄の弘明寺駅は、離れているのに駅名が同じでまぎらわしい。京急の駅は、京急新子安とか区別するのが多いのになぜ同じ駅名?乗り換えようとして間違える人は多い?(bausackさん)

はまれぽ調査結果!

直線距離で400メートル離れている弘明寺駅が同じ駅名なのは、両駅のつくられた経緯に理由があったと考えられる。同駅名であることに地元住民はとくに不便を感じていない

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ライター:中田 淳也

地下鉄弘明寺駅エリアの歴史



まず抑えておきたいのは、現在の地下鉄弘明寺駅が位置する通町四丁目やその周辺は、江戸時代には下大岡村に属しており、その後何度かの地名の変遷を経ているが、「弘明寺」という地名を名乗ったことは一度もない。このあたりは『「上大岡」があって「下大岡」がないのはなぜ?』の記事で詳しく調査している。

そして、前述したとおり地下鉄の弘明寺駅は1972(昭和47)年に開業したのだが、当時の開業区間(伊勢佐木長者町~上大岡)のうち、吉野町駅と弘明寺駅の区間はかつての横浜市電(路面電車)の区間とほぼ同一であり、地下鉄の弘明寺駅も横浜市電の弘明寺電停と同じ位置につくられている。

 

かつての弘明寺電停(現在の弘明寺バス停)付近
 

横浜市電の弘明寺電停の跡地(地下)に市営地下鉄の駅がつくられたので、駅名は路面電車の停留所に由来するものであることは容易に想像できる。では、横浜市電の弘明寺電停はいつ開業したのだろうか。調べてみると1914(大正3)年のできごとで、1930(昭和5)年に開業した京急の弘明寺駅よりも古いことが分かった。

横浜市電の弘明寺電停が開業した当時の様子については、弘明寺(寺院)のホームページに以下の記載がみられた。当該部分を引用する。

「大政奉還によって政権が朝廷に戻り明治時代を迎えると、神道に属さぬ仏教寺院は全国で大弾圧を受け、当山も寺領は御朱印と共に新政府に没集され、明治中期には無住職となって寺伝、寺宝の数々、住職系図までもが紛失する事態となりました。
明治34年(1901年)に渡辺寛玉師が住職に就任すると、弘明寺保勝会が設立され、弘明寺の復興と町おこしに皆邁進しました。大岡川沿いの桜並木もこの当時植樹されたものです。
明治44年(1911年)には、県知事周布公平氏の指示により、仁王門前から鎌倉街道に接する農道が整備され直線の4間道路が完成、これが現在の弘明寺商店街です」

 

弘明寺仁王門
 

これを読むと、明治の後半になって住職に就任した渡辺寛玉(わたなべ・かんぎょく)師によって弘明寺の復興がなされており、その一環として路面電車が開業したのではないかと想像ができる。実際、直線の4間道路が1911(明治44)年の何月に完成したかは不明だが、同じ年の4月1日に現在の弘明寺町や通町四丁目が属していた大岡川村の北部が、第二次市域拡張によって横浜市に編入されている。このあたりのできごとと路面電車の開業を関連付ける直接的な物証はないが、何らかの関連があったという見方もあながち的外れではないと言えるであろう。

なお、この当時の路面電車は横浜市ではなく、民間の横浜電気鉄道株式会社による運営であり、1906(明治39)年5月21日の段階で南吉田町(現在の地下鉄吉野町駅)から鎌倉街道沿いに鎌倉まで路面電車を延ばす計画が行政から特許を得ている。この計画は日露戦争後の不況で一旦頓挫するが、1913(大正2)年9月には駿河橋(現在の阪東橋公園付近)からお三の宮(現在のお三の宮バス停)まで開通していた。

1914(大正3)年9月に路面電車が弘明寺まで延伸された時の様子が、当時の『横濱貿易新報』という新聞記事に残されている。(以下、引用文)

「港西に於ける田園地新開拓の目的にて敷設したる横濱電車の新線お三の宮、弘明寺間(中略)尚新線の終点に当る弘明寺町には古刹弘明寺を初め中里温泉(中略)新線の開通と共に此方面の発展を祝す為町民等は停留場より弘明寺山門に至る三丁余の往還杉葉を以て飾りし柱を建て(中略)昨今両日祝意を表する由(横濱貿易新報大正3年9月10日。一部現代仮名遣いに改め)」

 

当日の横濱貿易新報(現神奈川新聞)一面(横浜市中央図書館所蔵)
 

記事からは路面電車の敷設によって沿線の宅地開発を図ろうとしていたことが読み取れる。もっとも、横浜電気鉄道による開発は成果が上がらず、その後1921(大正10)年に横浜市に買収されることになるのだが。

また、「終点に当る弘明寺町」とあるが、前述したとおり、弘明寺電停は町名としては弘明寺町には位置しない。ただ、4間道路と直結する位置につくられた停留所に最寄駅としての「弘明寺」の名前を冠することが、門前町としての性格を帯びつつあった4間道路やその周辺住民にとっても受け入れやすかったというところであろうか。

宅地開発だけでなく当時としては横浜市の郊外に当たるこの地域に参拝客や観光客を呼び込むためにこの路線がつくられたという一面もあったようだ。その後、この路線の中間の停留所は地名の変更によって停留所名が変わっていたりするが、弘明寺の名前は全く変わらなかったことからも当地における「弘明寺ブランド」が息づいていると言っては言い過ぎであろうか。

 

弘明寺交差点側から見た商店街
 



京急弘明寺駅の開業



路面電車の開業から遅れること16年、1930(昭和5)年に京急の弘明寺駅が開業する。京急の弘明寺駅については「はまれぽ」では以前取材し、こちらの記事に書かせていただいた。当時の湘南電気鉄道が弘明寺から敷地の提供を受けて線路を通している。

 

京急の弘明寺駅付近の航空写真
 

上は現代の航空写真だが、南図書館の北側、弘明寺駅の西側に弘明寺の墓地があるのが見て取れる。線路を挟んで反対側に弘明寺の本堂などがあり、「敷地の提供を受けて」というより、「弘明寺の敷地を貫いて」と言った方がより分かりやすいであろう。ここに線路を通して駅を作るとなれば、「弘明寺」の名前を冠さない方が不自然であり、当時は路面電車に「弘明寺」電停があったものの、いわゆる電車の駅としての「弘明寺駅」は存在していなかった。そのため、名前をそのまま使用したと考えられる。

 

京急の弘明寺駅の西側にある墓地
 



路面電車の廃止、地下鉄弘明寺駅の開業



かくして電車(京急)の「弘明寺駅」と路面電車(横浜市電)の「弘明寺電停」が並立すること40年弱、地元住民にとって2ヶ所の「弘明寺」があることはごくごく自然な事になっていったのかもしれない。その後、路面電車の弘明寺電停跡地につくられた市営地下鉄の駅が「弘明寺駅」となったのは、元々の「弘明寺」の名があったことから必然のできごとだったのだろう。

また、一般的には電車の駅の最寄りに位置するバス停は「○○駅(東口・西口など)」と「駅」がつくことが多いが、この地のバス停は「弘明寺駅」とならなかった。地下鉄開業前から同名のバス停がこの地にあったこともあるだろうが、この名称が路面電車の存在を今に伝える一つの象徴なのかもしれない。

 

弘明寺バス停
 



取材を終えて



個人的には「弘明寺駅」というと京急の方しか思い浮かばず、市営地下鉄の弘明寺駅の方はほとんど行ったことも無かったのだが、今回は調べるうちに、横浜市電(路面電車)にたどり着き、廃止後に生まれた世代としてはその歴史に興味がわいてきた。


―終わり―


参考文献
「横浜市電(上)―戦災までの歴史とその車輌―」(ネコ・パブリッシング・平成21年)
「横浜地下鉄物語」(横浜都市発展記念館・平成16年)
「京浜急行八十年史」(京浜急行電鉄・昭和55年)

参考URL
横浜市立図書館デジタルアーカイブ 都市横浜の記憶
http://www.lib.city.yokohama.lg.jp/Archive/
 
 

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  • 東京の例を挙げるなら、浅草駅が相応しいのでは。東京メトロ銀座線・都営地下鉄浅草線・東武スカイツリーラインの浅草駅と、つくばエクスプレス(TX)の浅草駅はこの弘明寺駅のように随分離れていますよ。

  • 地下鉄【弘明寺】にはバス停【弘明寺】がありますが、京急【弘明寺】側のバス停は【弘明寺口】ですね。私はバスの運転士ですが『弘明寺に行きますか?』と聞かれると『京急の?地下鉄の?』と聞くようにしてます。滅多にありませんけど…

  • 似たようなケースですと、中目黒。一般的には東横線の中目黒ですが、都電にも中目黒(8系統、築地⇔中目黒)があって、駅と電停は離れたところにありました。しかも都電の中目黒はもとは玉電でして、玉電はもともと東急ではなかったのです。

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