江の島にある児玉神社ってどんなところ?
ココがキニナル!
江の島にある児玉神社を取材してください。また明治維新頃まで江ノ島には三重塔があったそうです。どんな塔だったのかキニナル。(にゃんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
児玉神社は明治時代に活躍した陸軍大将・児玉源太郎を祀った神社。台湾総督だった児玉を敬愛する李登輝元総統の揮毫による扁額(へんがく)もある
ライター:松崎 辰彦
李登輝より扁額(へんがく)の揮毫を受ける
(続き)石川氏の父親は、彼ら台湾少年工の宿舎の舎監であった。石川氏は言う。
「『日本で仕事をすれば勉強の機会も与える』として、当時12歳から19歳の、向学心に燃えた少年たちを募集したのです。5年経てば上級学校の卒業資格が与えられ、台湾に帰れば技術者として就職できるという条件でした。競争率は高く、地方によっては30倍にもなりました。そのような8400名の台湾の少年が、上草柳の宿舎で共同生活を営みました。私たち一家も、同じところに住んでいました」
食堂にて。8400名の台湾少年工が起居していた
(石川氏所蔵の写真パネルより撮影)
風呂場を写したこんな写真も
(石川氏所蔵の写真パネルより撮影)
李登輝も尊敬する児玉源太郎
彼ら台湾少年工は日々労働に勤しんでいたが、日曜日には楽しみがあった。江の島に遊びに行くことである。
江の島に遊びに行くことが少年工たちの楽しみだった
「江の島に行けばおいしいものが食べられる、ということが一つ。そしてもう一つが、尊敬する児玉大将を祀った児玉神社があるということでした」
当時の台湾少年工を描いた絵画(写真提供・石川公弘)
戦後、台湾に帰り、高齢となったかつての少年工が再び来日したとき、再会を果たした石川氏は「台湾の皆さんには戦時中、ご苦労をおかけしました」と思わず口にした。
すると元少年工は言った。
「なぜ謝るんですか。私たちだけが苦労したのならば恨みもするが、あのころは日本人だって苦労したではないですか。日本人は特攻隊で4500人も死んだんです。それに比べれば私たちの苦労なんて苦労ではないですよ」──
亡くなるまで日本人恩師の墓参を続けた元台湾少年工の宋定国氏(右・故人)
(写真提供・石川公弘)
当時の日本の為政者は台湾を搾取の対象と考えず、植民地とはかくあるべきという見本を作ろうとしたのだと石川氏は言う。四民平等で、上下の差別のない国家を建設しようとしたのである、と(日本は1919〈大正8〉年、パリ講和会議で「人種的差別撤廃」を提案している)。
石川氏いわく、現在高齢の台湾人の中には当時を回想して「日本人は台湾人を殴ったりもしたが、嘘はつかなかった。時間は守ったし、約束も守った。人を裏切ったりしなかった」と言う人がいる。そうした昔日の日本人を懐かしみ、今の日本人を評して「なぜ自分の国を悪く言うのか。これほど立派な国を作り上げたのに、なぜ卑下しなければならないのか」と憤る人が少なくないそうである(中には「自分は次の人生で日本人に生まれたい」とまで言う人もいるとか)。
2001(平成13)年に来日した元台湾少年工たち(写真提供・石川公弘)
李登輝元総統は、優れた統治を行った児玉源太郎を非常に尊敬し、扁額の揮毫も快く了承した。
議員を引退した石川氏は、現在日本と台湾の架け橋として、今年も李登輝元総統の来日を企画している。日台の友好をさらに深めるために、多くの活動を展開している。
児玉神社の社殿や鳥居は、ほぼすべて台湾から寄進されたヒノキや石でできている。社を守る二匹の狛犬も、台湾の名工の手になる逸品である。台湾の志ある人々の力強い支援のもと建立された児玉神社は、国境そして時代を超えた尊敬と崇敬を集めている。
取材を終えて
乃木希典や東郷平八郎の名は知られている。しかし児玉源太郎の名はさほど著名ではない。日露戦争を勝利に導き、台湾を適切に統治して日台の親密な関係を築いたこの傑人に、私たちは今こそ目を向けるべきであろう。
恥ずかしながら「台湾少年工」の存在を今回の取材で初めて知った。彼らは貧しい祖国を離れ、日本に夢を抱いてやってきた若者たちだった。
彼らの思いに、日本は応えることができたのだろうか。
いまの日本は、国際的にも決して四海同胞とは言い難い状況にある。このようなときに必要なのは、硬軟あわせた手法を駆使して人心をつかむ、まさに児玉大将の賢才ではないだろうか。
江の島にひっそりとたたずみ、縁ある人を迎えている児玉神社。児玉源太郎の遺徳を忍ぶ意味でも、鳥居をくぐられてはいかがであろう。
―終わり―
※投稿者の質問にある“三重塔”は児玉神社とは別件であるため、後日改めて調査したい。
◆児玉神社
住所/神奈川県藤沢市江の島1-4-3
電話/0466(22)2410
交通アクセス/
<JR>藤沢駅または大船駅から江の島行きバスに乗車。バス停より徒歩5分。
<小田急線>片瀬江ノ島駅下車、徒歩20分。
<江ノ電>江の島駅下車、徒歩20分。
<湘南モノレール>江の島駅下車、徒歩20分。
※2013年2月1日現在、児玉神社のホームページは準備中であり、存在しません。
日本李登輝友の会
http://www.ritouki.jp/
台湾春秋(石川公弘氏のブログ)
http://blogs.yahoo.co.jp/kim123hiro
本ま者の虎太郎さん
2013年10月23日 21時48分
正直言って、この記事は大変素晴らしいものだと思います。ただただ頭が下がる想いです。それと既にコメントしていらっしゃった方が居ましたが、私も全く同感です。台湾に対しては、本当に敬服の念を抱かざるを得ませんが、それ以外の近隣諸国に対しては、本当に近隣諸国であることを甚だ残念に想う今日この頃です。
鳩サブレーさん
2013年02月14日 02時42分
台湾と朝鮮半島でどうして此処まで対日解釈が違うのか?一言で言って教育の差なのだと思う。歴史は感情抜きで事実を伝えるべきで、反日教育等をする国とそうでない国の差が今日の問題になっているのは明白な事実だ。それとも感情を抑え感謝を知る台湾と知らない朝鮮半島の違いなのか?
ushinさん
2013年02月03日 02時32分
後藤新平の台湾統治の話読んだばかりで、このへんの話もちょうど見たところ。当時の国力の関係からすれば、日本による支配という形になってしまったが、日本は「日本としての台湾」を差別することなく、費用をかけて都市整備、国土開発を行った。それが確実に台湾の国民に寄与して今の親日的な傾向につながっているんだろう。同じように手間かけて向上させても、感謝どころか一部たりとも評価してくれない国もあるんだがw