コレなんて読む?市内の難読地名をご紹介!第5弾
ココがキニナル!
横浜市は難読地名が非常に多い地域。大豆戸と北&東山田以外にも山ほどあります。ぜひシリーズであちこちの難読地名の由来を調べて!(スさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
難読地名シリーズ、今回が最終回!“三ツ境”、“蒔田町”、“万騎が原”の3つの地名を由来とともにご紹介!
ライター:田中 大輔
あの武将にまつわる地名
さて、いよいよラストの地名だ。
最後は旭区にあるココ。
なんとなく男らしい字面のこの地名は?
こちらも三ツ境、蒔田町同様に鉄道駅(相鉄線の南万騎が原駅)があるので知っている人は多いかも。とはいえ、初見で読むのはなかなか難しいようだ。
コレが正解。看板などではひらがな表記も目立つ。やっぱり読みにくいから?
これが正解で、“(みなみ)まきがはら”。
実は、南万騎が原という地名は存在せず、駅があるのは柏町という場所。
地名ではないが、駅があるのでマンションやお店の名前には使われている
地名としてあるのは“万騎が原”で、どういうわけか駅の西側に広がっている。
住宅街以外の何物でもないというくらいの住宅街で、県営万騎が原団地なども建ち並んでいる。
県営の団地。かなり古そうな建物だった
ちなみに、「万騎が原ちびっこ動物園」のある「こども自然公園(通称、大池公園)」は住所としては大池町という隣の町にある。
“万騎”とはいかにも勇猛な名前だが、そのイメージ通りの由来が伝えられている。
時は1205(元久2)年。歴史好きの人ならピンとくるかもしれないが、いわゆる「畠山重忠の乱」にちなんだ地名なのだ。
「畠山重忠の乱」は端的に言ってしまうと、源頼朝の死後に起きた鎌倉幕府内部のゴタゴタにまつわる出来事で、北條氏が鎌倉幕府初期からの御家人として知られる畠山重忠(しげただ)を謀略をもって倒した事件のことを指す。
町内には「畠山重忠公遺烈碑」も建てられている
この時に、北條氏が重忠公に差し向けた大軍を指して“万騎”となったんだそうだ。
石碑の横にある畠山地蔵尊。今でも花が供えられている
でも、それなら“まんきがはら”でいいのに、と思うところだが、それが面白いところ。
実は、この辺りは“万騎が原”となる前から“まきがはら”だったのだ。
余談だが、南万騎が原駅はガソリンスタンドっぽく見える
『横浜の町名』によれば、平安時代に朝廷(天皇が執政する場所)の直轄牧場である御牧(おまき)があったことから“牧ヶ原”という地名があったそうで、それが「重忠の乱」以降に“万騎が原”と変わったというのだ。
誰かがシャレて言ったのが地名になったのかは分からないが、そういうわけで現在使われている漢字があてられたようだ。
取材を終えて
さて、これにて難読地名シリーズはひとまずおしまい。
コメントなどを通じ、たくさんの難読地名を紹介してもらったおかげで5回も続けることができた。
このシリーズは終わってしまうが、地名に関するキニナルは引き続き募集中なので、不思議な地名や読みにくい地名があればどんどん投稿してほしい。皆さんの住む町がはまれぽで紹介されるかも!
―終わり―
ホトリコさん
2014年11月05日 12時34分
個人的に武将の好みはどちらかというと、猪突猛進な斬り込み隊長タイプなので、万騎が原にちなんだ畠山忠重は好きな武将の一人です。
kekentaさん
2013年04月18日 21時26分
毎度さらっと書いてますが、出展が凄いですよね。小田原〜なんて資料(私含め)なかなか知らないのでは。はまれぽさんの取材力というか、情報量に感心しきりです。ところで、新羽とかも外の人はなかなか読めないかと思いますが、取り上げてましたっけ?
HIDE.PDさん
2013年04月18日 19時52分
三ツ境のツですが、大きいの?小さいの?保土ヶ谷のケもですけど、なんで小さいの、大きいのがあるんでしょうね。あと日ノ出町と日の出町ね。