神奈川大学はなぜ六角橋にある? 学校と学食の誕生秘話が知りたい!
ココがキニナル!
昭和の初め神奈川大学は横浜学院と呼ばれ、桜木町駅前にあり横浜専門学校と改名し六角橋に来たそう。当時は田園風景が広がりキャンパスは違和感があり目立っていたそう。なぜ六角橋に?(ねこぼくさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
1928年3月設立「横浜学院」が1929年4月に「横浜専門学校」になり1930年に学校誘致をしていた農村地帯の六角橋に校舎が移り「神奈川大学」へ
ライター:橘 アリー
当時の様子は?
「かつて六角橋は牧場だったってホント!?」でもお伝えしたが、六角橋まで市電が通っていたとはいえ、投稿にあるとおり、学校の周辺は田んぼや畑がいっぱいあったようだ。そのなかにたたずむキャンパスの様子は、確かに投稿者のいうように「目立って」いる。
学校も周辺には畑があった1931(昭和6)年の様子。なんだか「違和感」がある
(神奈川大学デジタルアーカイブ所蔵)
1937(昭和12)年当時の様子。まだまだ田畑がいっぱいある
(神奈川大学デジタルアーカイブ所蔵)
現在の様子と比べてみると、上の写真の中央から右下に延びている道は、現在は下の写真の場所である。
現在の様子。道の左右とも神奈川大学の建物
この道は、キャンパスの東門前の道。
東門の様子
1940(昭和15)年当時の校舎の様子(神奈川大学デジタルアーカイブ所蔵)
現在の校舎の様子
1933(昭和8)年の学生が通学する様子(神奈川大学デジタルアーカイブ所蔵)
ところで、神奈川大学というと、以前にはまれぽでも取材したリーズナブルでにぎわっている学食が有名である。
そこで、最後に、学食の歴史についてお話を伺った。
「学生の声」が学食を華やかにした!?
学食が作られた正確な年月が記された資料は残っていないが、「横浜専門学校」時代から、学食はあったようだ。
1930年7月10日の学生新聞『横浜専門学校学報』第一号に、「広告」として、「校内食堂 昼の御食事は是非近くて安く親切な校内食堂の御利用を乞ふ(原文ママ)」という記事が載っている。
学生新聞第一号に載った学食の記事(神奈川大学デジタルアーカイブ所蔵)
学食が作られコンセプトとは、「食べ盛りの若者に安く提供したい」というもので、また、創立当時の横浜専門学校は、すでに地方入試を行っていたので地方から来る学生が多く、そうした学生のための需要があった。
つくられて間もない1931(昭和6)年ごろの学食の様子(神奈川大学デジタルアーカイブ所蔵)
創立当時から現在まで残っているメニューは、カツ丼やカレーライス。
当時から今までのメニュー
当時の1銭は現在の18円に相当する金額なので現在のカツ丼の金額は、1931年当時のカツ丼の金額の約1.4倍の値段。当時は現在の学食のカツ丼よりも安かったようだ。
現在の学食「カルフール」のカツ丼(390円)
学食が華やかになったのは、「学生の声」が反映されたため。
大学は学校草創期から学食を提供しており、学生の学食に対する関心は高かった。
学生新聞の記事に、「施設をもっと清潔に」「値段を安くして欲しい」など、学生の積極的な発言が載っている。
1942(昭和17)年の学食の様子(神奈川大学デジタルアーカイブ所蔵)
1951(昭和26)年の学食の様子(神奈川大学デジタルアーカイブ所蔵)
そうした学生の声の積み重ねや、1975(昭和50)年に運営主体が、生協に変わったことなどを経て、現在の華やかな学食につながっている。
800席以上ある「カルフール」
取材を終えて
今回の取材で、神奈川大学は、若き創立者の強い志から誕生したとわかった。
現在の横浜キャンパスには、横浜専門学校が1930(昭和5)年に移転して来た当時、すでにその場所に根を張っていた欅(けやき)が“学校創立の樹といえる”ということで、切られないまま残っている。
移転前から根を張っている欅
キャンパスに訪れる機会があったら、当時の様子を思いながら欅をながめてみてはいかがでしょうか。
―終わり―
神奈川大学横浜キャンパス
http://www.kanagawa-u.ac.jp/
横浜市神奈川区六角橋3-27-1
浜のすーさん
2014年05月21日 14時25分
設立当時から、学生や社会の要請を巧みに取り込んできた大学なんですねえ。見習わないといけないです。某大学の職員としては・・・
a-nさん
2014年01月21日 18時05分
>当時の1銭は現在の18円に相当する金額なので~この前提なら当時の1.4倍が現在の値段ですね。
mirrorさん
2014年01月21日 16時42分
都心の大学ってねぇ、そもそも横浜は都心じゃないでしょ?(´・ω・`)