蒔田駅周辺の林立するビル群は新興宗教の施設って本当か、潜入取材!
ココがキニナル!
南区にある宗教法人大山ねずの命神示教会は近年蒔田駅周辺にいくつもの巨大ビルを建て、信者さんで賑わってます。これはどういった背景によるものなのでしょうか?この界隈を歩く度に気になる(伴 俊作さん他多数)
はまれぽ調査結果!
教団の施設が集中しているのは、この場所に教祖の自宅があったことが関係している。建設当時は地元住民の反対があったが、現在は問題は解決している。
ライター:小方 サダオ
周辺住民に話を伺う
そんな民家のひとつに住む女性に、まずは教団のビルについて伺うと「周辺住民はビルが建つ時は反対運動をしたりしましたが、長いものには巻かれろの姿勢でいるほうが良いと、結局あきらめました。しかし今では町内の行事に教団が寄付をしてくれたりして、共存する形でやっています」
「最初のころはA・Hさん(供丸姫教祖)の自宅と山沿いに建てた家の2軒で活動をしていたのですが、いつの間にかこんな大きな教団になってしまいました。またビルだけではなく、周りにある家にも教団の親族や関係者が住んでいる場合もあります。ここまで大きくなった理由は分かりませんが、信者の一生が守られているからなのではないでしょうか?」とのこと。
以前教団の施設があったあたり
教団に関しては「供丸斎教祖は見たことがあります。白い着物を着て、長いひげをたくわえた、品のある堂々とした印象のおじいさんでした。信者たちは地べたにひれ伏して拝んだりしていました」
「最初は戸部町のほうでお風呂屋の店主をしていたようです。そのうち人の手相をみるようなことを始めたのです。そして宮元町に住んでいた家の娘のA・Hが病弱だったため、供丸斎教祖に診てもらうと治りました。そのため信者になり、その後跡を継ぐことになったようです」と答えてくれた。
全国各地にある偉光会館(ひかりのやかた)
この土地に長く住むある男性にお話を伺うと「このあたりはA一族が住んでいました。そしてA・Hさんは私の姉の知り合いでした」
「体調が悪かったようで、学校を休みがちの人でした。その病気が原因不明だったため、戸部町にある銭湯にいた拝み屋さん(占いや祈祷をする人)の先生のところに通っていると治ったそうです。そこで信者になり、それがきっかけでこの地で教団を建てることになったようです」と答えてくれた。
拝み屋さんから教団は始まった、という
前出では手相の話が出た。供丸斎教祖は当初は占いと関係がある人だったのだろうか?
教団のビルに関して伺うと「最初は檜の白木の壁で囲われた家屋から始まりましたが、今ではビルになりました。建てるときは反対があり、特に個人会員ですが、ある宗教団体Sが反対していました」
「そのほかの問題に関しては、会員が多いので細い道が混雑することがあります。しかし地下鉄の出口を教団への行きと帰りで別々の出口を使用するようにルートを分けたりして、迷惑にならないように職員が交通整理をしています」答えてくれた。
教団がこのような大きくなった理由に関して伺うと「山の周囲を、弧を描いた形でA一族が土地を持っていました。A・Hさんとは親族であるといえるため、土地が広げやすかったという可能性はあるかもしれません」
教団の裏の山をA一族が所有していた
「また全国から大勢の会員が来るから、周囲の飲食店が信者に寄ってもらうことを当てにするようになりました。まるで参道に並ぶ仲見世のような雰囲気のときもありました。あるそば店などは教団の信者になり、信者に入ってもらいやすいように、店先に信者を証明する札などを貼ったりしたのです。しかしその後会員専用の食堂が出来たため、当てが外れてがっかりしていました」
「さらにうわさでは、施設のビルを建てる建設会社などが信者になり、信者のバッジをつけた上で教団との商談に望むと上手くいく、という話もあるそうです」とのこと。
大きな教団になると、協力し関係を持ちたいという人たちが多く現れ、それらが信者になることで信者数が増えていくことはあり得るのかもしれない。
蒔田城の復元図
またこの地は歴史がある、とAさんはいう。
「武蔵世田谷(現・東京都世田谷区)の豪族・吉良氏が蒔田に移り住み、この山の上に城郭を築きました。そのふもとに馬の世話をする場所があり、その軍馬の世話していたのがA一族の先祖と言われています」
「その城郭があった場所に横浜英和女学院というミッションスクールが建ち、ふもとには新興宗教の教団の本拠地になり、宗教的な施設が多くなったことは奇妙に感じられます」と答えてくれた。
蒔田城は土塁(どるい:堤防状の壁)や空壕(からぼり)をめぐらせた、簡素な丘陵城郭であったという
歴史のあるA一族が一体の土地を持っていたことで、供丸姫教祖の教団が親族の土地を取得しやすく施設が広がりやすかったといえるのかもしれない。
教団発祥の地・戸部町に向かう
教団の発祥の地は、西区戸部町という。
そこで京急線戸部駅を降り、みなとみらい地区方面に住宅街を歩くと、横浜駅と関内方面を結ぶ16号線の手前に、大山ねずの命神示教会神総本部・信者宿泊処を発見した。
供丸斎教祖の教団施設のあった、信者宿泊処
周囲に構えるお店の店主に伺うと「供丸斎先生は大山湯というお風呂屋の主人で、鋭い目をした人でした。しかし優しい人で、友達は手相をみてもらったりしていました」
「そのうち宗教をはじめ、9月の誕生日の日などは大勢の信者が押しかけてくるようになったため、施設を大きくすることにしたのです。供丸斎先生は、この街に貢献してくれたありがたい人だと私は思っています」とのこと。
また16号線に近いあるお店の店主に伺うと「あの先生の子どもには、男の子が3人で女の子が2人いましたが、私はその息子さんの1人と友達でした」
「経営する銭湯の隣で占いをする場所がありました。はじめは近所の住民の『子どもが帰ってこない』などの相談を受けていたそうです。その後宗教の教祖になり、ハワイや福岡県など遠くから信者が訪れるようになりました」とのこと。
全国各地にある教団の施設
続いて家の庭仕事をしていた女性は「近所でも数名の人が信仰していましたが、その人達が土地を喜捨(きしゃ:進んで宗教に金品を布施すること)していました。教団はそのようにして大きくなっていくのかもしれませんね」と答えてくれた。
さらに先生の妻が買い物をしていたというお店では「奥様から『いろんな場所に行って布教している』と聞きました」と答えてくれた。
供丸斎教祖は地元住民の相談から始め、全国からの信者を集めることで「大山ねずの命神示教会神総本部」を広めていったようだ。
戸部町にある、信者のお食事処
取材を終えて
建ち並ぶビル群を見ると威圧的な印象はあるが、全国にいる多くの会員を収容するためにはこれだけの施設が必要なのだろうか。
しかし周囲との和合の教えを学んでいるという、信者の表情からは、対照的にオープンさと素朴さを感じた。
蒔田城があった山から見た教団の施設
―終わり―
大山ねずの命神示教会
http://www.shinjikyoukai.jp/
伴 俊作さん
2015年08月07日 12時57分
あのビル群ができる前は、二階屋くらいから横浜の花火大会の花火が見えました。大晦日は除夜の汽笛も聞こえました。ビルができてからは、だた冷たいビル風の音だけになってしまい寂しい限りです。きっと関係者はあのビルの中から花火見物しているんでしょうねぇ。
ushinさん
2015年08月01日 23時33分
新宗教ウォッチャーだったんで、ここの話にも詳しいけれど、これほど内部を公開した取材は初めて見た。一番飛躍した第一歩は、あのJAL123便生存者の一人が信者だったからだと聞いたが・・・信じるか信じないかはあなた次第です(ニヤリ)
MacBook Airさん
2015年07月31日 00時43分
もっときちんと調査してくれ!信者の家族は半強制的に入信させられて金を払わされてます。また信者のマナーも悪く地元住民は迷惑してます。教祖のルーツも教団側に聞くのではなく近所のおじいさん、おばあさんに聞けばどんな人だったのかわかるよ。このサイトも「横浜」を売りにしているのであれば地元住民にきちんと話しを聞くべき。