横浜新道の常盤台トンネル周辺は事故が多いって本当?
ココがキニナル!
保土ヶ谷の常盤台トンネル(横浜新道)事故、多くありませんか?構造的な欠陥、盲点、死角があるのでは?命に関わることですので、はまれぽ編集部で調査、取材してください(マッサンさん)
はまれぽ調査結果!
常盤台トンネル周辺で起こる事故の原因の一つとして、確かに構造上の問題はあるようだ。本線と支線の合流地点や出口の位置などで交通の難所といえる場所がある
ライター:小方 サダオ
事故多発地点だった峰岡出口の変遷とは
まずは、峰岡出口付近にお住まいの方々に聞き込み調査を行った。
詳しい話をしてくれた出口近くに住む男性Yさんは、「国道1号線から横浜新道に入って峰岡出口から出るのは危ないです。1996(平成8)年に横浜新道の改修工事がされる前までは、峰岡出口といっしょに横浜新道に入る入口がありました。その頃は年中事故が起こっていました。本線に入るための助走距離が短すぎて、なかなか合流できない車が多く、入り口で渋滞が出来ていました。これは構造上の欠陥ということで、入り口はなくなりました」と当時の様子を語ってくれた。
保土ヶ谷トンネルがある今回の区間は、1959(昭和34)年に有料区間として保土ヶ谷から戸塚間が開通している。
その頃から峰岡口には入口と出口の両方があった。
1962年ごろの峰岡入口(青矢印)と出口(緑矢印)。初期のトンネルは今よりも短かった
(『昭和37年保土ヶ谷区明細地図』)
1974年ごろの峰岡出口(青枠、1974〈昭和49〉年~1978〈昭和53〉年の航空写真)
1996年までは入口(青矢印)と出口(緑矢印)があった。緑枠は現在の保土ヶ谷トンネル
(『昭和37年保土ヶ谷区明細地図』)
入口には助走のための車線がなく、合流が危険だったという(『昭和37年保土ヶ谷区明細地図』)
1997(平成9)年に出口のみになった峰岡出口(青枠) (『平成9年保土ヶ谷区明細地図』)
現在の峰岡出口(青枠)(© OpenStreetMap contributors)
Yさんが高速道路側からもらった当時のパンフレットによると、1996年の横浜新道の改修工事で、保土ヶ谷トンネルが長くなり、峰岡口の入り口がなくなったようだ。
改修前は、横浜新道と一般道が、信号もなく直角に近い角度で交差する地点だったので、合流が難しかったのではないだろうか。
Aさんが改修工事の際にもらったパンフレット
峰岡出口は以前の形(オレンジ枠)から現在のもの(赤枠)に変わった
またYさんは、出口だけになった今でも、事故は多いという。「印象的だった事故は5年くらい前ですが、出口で減速が足らず曲がりきれなかったトラックが、ガードレールを破壊しながら出口の外に飛び出てきました。そのまま出口前の坂を下まで滑り落ちていきました」とのことだった。
さらに「15年以上前になりますが、やはり減速が足らず曲がりきれなかったトラックが飛び出てきて、その時は出口直後の右側壁に激突して運転手さんが亡くなってしまいました。これは出口専用になった後のことですが、出口付近は減速するためのスピードの調整が難しい地点なのかもしれません。曲がりきれない車の事故は小さなケースも入れれば、未だに私が見ただけでも数ヶ月に一度位はある状況です。しかし相手のいない単独の自損がほとんどなので、レッカーが必要ような大破でない限り、こっそり走り去ってしまう車が多く、事故として扱われずにデータに上がりづらいかもしれません」という。
峰岡出口直前の減速のための車線の長さ(青線)
以前は入り口もあった峰岡出口
曲がりきれず出口から飛び出した車は、そのまま出口前の坂を滑るように下ったという
峰岡出口付近は事故が多いようだ。やはり、国道1号線から横浜新道本線の追い越し車線に合流して、その直後に一番左側の車線から出る峰岡出口は交通の難所といえるのかもしれない。
高速道路関係者から見る投稿の場所は?
今回調査を行った常盤台トンネルや保土ヶ谷トンネルなどの危険性がある場所について、東日本高速道路株式会社関東支社広報課の担当者にどのような対策を行っているのか伺った。
担当者は、保土ヶ谷トンネル付近の道路状況について「トンネル内では、速度超過の状況で走行していると、前方が混雑していた際に慌てて急ブレーキを踏むなどの対応を取ることになります。そのため、速度超過に対する抑制対策として、道路に色を付けるカラー舗装や、『速度落せ』の路面標示、および導流レーンマーク(車線内にある太破線)により速度抑制を狙います。さらに、トンネル部では自発光デリニエーター(自ら発光する視線誘導標)を設置し注意喚起を行っています」と、速度超過による事故防止策を話してくれた。
導流レーンマークや自発光デリニエーターなどで注意喚起を行っている
このような抑制対策は常盤台トンネルでも行っており、「こういった抑制対策により、特にトンネル内がカーブになっている常盤台トンネルでは、平均的な速度で走行する車両や高速走行している車両の通過速度は、いずれも対策前より低下がみられています」と、設備改良の成果を感じているそうだ。
また、追越車線からの本線への合流については、「弊社で管理している高速自動車国道・一般有料道路では、走行車線側から合流する形状がほとんどですが、都市高速では追越車線から合流する形状も見受けられます。都市部では用地(土地)の制限によって、道路の構造に余裕を持たせることが難しい場合があります」と、建設時の制約が一因として挙げられるという。
本線(緑矢印)へ保土ヶ谷IC・Fランプから車(青矢印)が合流する直前の地点
さらに、追い越し車線から合流する状況があるという都市高速を管理する首都高速道路株式会社に話を伺った。
担当者は、「首都高速道路においては、建設用地を公共用地以外で確保することが困難だったため、土地取得の関係などからそういった形状になる場合があります。また街区・街路の配置の関係や、出入口付近の一般道路との交通処理等の制約を考慮した結果、右側に出入口を設置している場合もあります」と答えてくれた。
また、「東京都の霞ヶ関出入口や芝浦出入口などが例に挙げられますが、この出入口は古い事例で資料がないため追い越し車線から本線へ合流になった理由はわかりません」とのことで、該当する形状の出入り口ができた経緯についてはわからなかった。
霞ヶ関出入口(© OpenStreetMap contributors)
芝浦出入口(© OpenStreetMap contributors)
用地取得の関係で走行車線から合流する形状ができ、追い越し車線への合流という運転が難しくなる路線が生まれてしまうようだ。
常盤台トンネル・保土ヶ谷トンネルともに、ほかのトンネルにおける事故の頻度と比べて特別事故が多いという調査結果が出たわけではない。
しかし、峰岡出口付近に在住の男性Aさんの「構造上の欠陥との理由で改修工事時に入り口がなくなった」との証言や、東日本高速道路により「トンネル内がカーブの常盤台トンネルで設備改良がされた」ことなどを考えると、双方のトンネルとも死角が生まれやすいなど構造的な欠陥があるといえ、それが事故につながりやすいと言えるのかもしれない。
取材を終えて
追い越し車線からの合流という理想的とは言えない形状が生まれたのは、昭和30年代という時代背景もあったのかもしれない。
その頃は車のスピード性能が劣っていて危険回避の判断に時間的余裕があったと考えられ、今より走行車が少なかった時代は事故が起こる確率が低かったこともあるだろう。そういった、さまざまな条件で事故が起こりにくかった可能性もある。時代の経過を考慮して、現在の構造を改良したほうがいい箇所もあるのではないだろうか。
時代とともに古い構造を見直す必要があるのかもしれない
-終わり-
ホトリコさん
2019年03月11日 12時22分
運転センスがなかったので確かにこのポイントは恐怖。こんな危険ポイントにこそ自動運転が必要になってくる。
かまくらニンジャさん
2019年03月10日 18時21分
下り線で常盤台トンネルを抜けて三ツ沢方面へ向かうには早めに右車線に移る必要があるのに、なかなか車間が開かなくて免許取りたての頃は苦手な場所でした。もう少し流れがゆっくりで交通量が少なければ初心者やお年寄りにも安心して利用できるし、事故も減ると思うのですが。
マッサンさん
2019年03月08日 19時50分
緻密な取材ありがとうございます。この箇所において一件の事故がない事を願いたいものです。道路管理者は今一度再点検、再分析、再構築していただき、標識、サイン等で注意喚起をお願いしたい。また近郊の運転者だけでなく、地方から利用される運転者もいらっしゃる。外国籍の運転者も利用される。誰もが安全に安心して通行できる道路環境の整備、ユニバーサルデザイン、バリアフリー化は必須だと思います。。。