保土ケ谷区に幻の巨大池があった? かつて湖ほどの大きさだったという「三ツ沢池」について教えて!
ココがキニナル!
保土ケ谷区にある「三ツ沢池」というバス停付近を昔の地図でみると湖チックな池が確認できます。人工的なものだったのかキニナリます。残っていれば観光財源になったかも。(katsuya30さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「三ツ沢池」は滝の川から水を引いて作った人工の池。1967年に始まった第三京浜道路の工事残土で埋められた。資料がなく観光資源になったかは不明
ライター:橘 アリー
“湖チック”から“水たまりチック”な池に!?
筆者が以前に調べた「ちの池」「大久保池」など、横浜には埋められてしまった池がいくつかある。
今回も、昔あった池の調査だが、「湖チックな池」と聞くと、とてもキニナル。
湖のイメージ(フリー画像より)
まずは、キニナル投稿にある場所を、昔の地図で確認してみると・・・
1964(昭和39)年当時の地図で、道路に沿って長く大きな池を確認できる
確かに、大きくて湖チックな様子である。そして、地図には「養魚場」と書かれたとこともある。「三ツ沢池」では、魚の養殖をしていたのだろうか!?
そんなことを気にしながら、さらに続いて地図を見て行くと・・・
1968(昭和43)年には、池は“湖チック”から“水たまりチック”に変わってしまった!?
そして、その後は、この残念な“水たまりチックな池”もなくなってしまったようだ。
「三ツ沢池」とは、どのような池だったのだろうか?
次は、資料で調べてみることに。
滝の川の水を溜めて作られた!
保土ケ谷区にあった池なので、最初に保土ケ谷区の郷土資料を調べてみたが「三ツ沢池」について書かれているものは見当たらなかった。
そこで、池があった場所は保土ヶ谷区と神奈川区の境なので、神奈川区の郷土資料を調べてみると、載っているものがあった。
「三ツ沢池」について載っている、『わが町の今と昔』(神奈川区編)
この資料によると、池は「滝の川」という名前の川の水を溜めて作られたもので、神奈川区の三ツ沢・松本・反町方面の田畑の潅漑用に使われていた。
保土ケ谷区にある池だが、池の水は神奈川区で使われていたようだ。
ちなみに、「滝の川」は、ほとんどの部分が暗渠化されているが(現在の「滝の川あじさいルート」など)、「滝の川」の水源の一つの池が神奈川区の「片倉うさぎ山公園」内にある。
「片倉うさぎ山公園」の様子。写真の左側に「滝の川」の水源に一つの池がある
池は、幅が3メートルくらいの大きさだ
この日はいなかったが、ザリガニがよく釣れるそうだ
そして、この池に立てられている看板によると、「滝の川」は権現山(ごんげんやま、現在の神奈川区幸ヶ谷公園近辺)から流れ出る水が滝となって川に落ちたことから滝の川という名前がついたという説があるようだ。
再び、話を「三ツ沢池」に戻すと、その面積は、1941(昭和16)年当時、約1万9800平方メートル(約6000坪)であったそうだ。
これがどのくらいの広さかというと、横浜スタジアムの球場面積が2万6200平方メートル(約7940坪)なので、それと比べると、「三ツ沢池」は横浜スタジアムの7割半の広さである。
横浜スタジアム(フリー画像より)
横浜スタジアムの7割半となると、確かに湖チックな大きさだ。
池があった当時の様子については、戦前には池の端に桜並木があり、貸しボートがあった、と書かれている。
年代は不明だが、池が無い後の桜並木の名残り(右端)(『わが町の今と昔』より)
池の様子は神奈川県農協発行の『遥かなる農の歳月』に大きく載っている
1941(昭和16)年当時の「三ツ沢池」。澄んだ水が評判だったようだ(『遥かなる農の歳月』より)
なお、「三ツ沢池」は、通称「大池」と呼ばれていたそうで、その名前が現在の道路の名前として残っている。
そして、「三ツ沢池」は、1967(昭和42)年から始まった第三京浜道路の工事残土で埋められ消滅したそうだ。
道路の工事で埋められたようなので、当時の資料や写真などがあるか、横浜市都市計画課に問い合わせてみたが、もう40年以上前のことなので残っていないとのことだった。
また、池は、その水を使っている人の同意が無いと埋めることはできないとのこと。
昭和40年代の時代背景から考えると、道路工事などの開発が進むに連れて田畑も少なくなっていき、池の水を潅漑用水として使っていた農家の人たちの同意を得て、工事残土で埋めたのではないだろうか。
これで「三ツ沢池」が、田畑の潅漑用に作られた人工の池だと分かった。
次は、現在の様子を確認することに。