神奈川区守屋町に突然「線路が始まる」場所があった
ココがキニナル!
神奈川区守屋町で線路が途切れている場所を発見。何に使われていたの?(はまれぽ編集部のキニナル)
ライター:はまれぽ編集部
神奈川区守屋町周辺で、突然道路から「線路が始まる場所」を見つけた。これって何だろう?
手前は普通の道路なのに、突如線路が出現
完全にここで途切れている
場所は神奈川区の守屋町付近。
事業所が立ち並ぶエリア(Googleマップより)
この先はどうなっているの?
神奈川産業道路の方面に回り込んで、線路の先を確認してみた。
川に続いていく様子
線路は川を渡り
対岸へ
このような形で続いていた(Googleマップより)
対岸にあるのは昭和電工株式会社の横浜事業所。調べてみると、ここから伸びていた貨物用の路線、通称「新興線(しんこうせん)」のようだ。
工業地帯の輸送を担っていた貨物線だが、トラック運送などの自動車技術の発展に伴い、次々その姿を消した。この新興線はその中でも長く生き残っており、2002(平成14)年までは運行を続けていたようだ。
川を渡った昭和電工の事業所近くに「新興1地区」と呼ばれる駅があり、その先にも「新興3地区」まで駅が続いていたという。
Googleの航空写真では、道路上にも線路の形跡がある
現在は何の痕跡も残されていなかったが、2015(平成27)年ごろまでは、線路の手前の道路にも廃線跡が残っていたようだ。
線路は続く、どこに行く?
2002年まで一部が使われていた新興線。工場地帯から新子安駅近くの「新興駅」(旧入江駅)を出た後、列車はどこまで走っていたのだろう?
貨物列車が走っていた路線を辿ると、長野県塩尻に到達する。
直線距離で約170kmの距離だ(Googleマップより)
横浜から塩尻へ向かう最後の貨物列車は、2000年に昭和電工の工場から発車したという。その理由は、塩尻駅周辺を見ると分かった。
こちらにも昭和電工の事業所がある(Googleマップより)
かつて、横浜の昭和電工で生産されたアルミナ(酸化アルミニウム)を塩尻の事業所まで運び、溶融アルミナを製造していたのだ。そのための輸送手段として、新興線・JR貨物と、それぞれの事業所に引かれた専用線が利用されていた。
昭和電工は2014(平成26)年にアルミナ事業から撤退。横浜・塩尻ともに別事業に取り組んでいる。日本の成長を支えてきた製造業も大きな変化にさらされてきた。
生産・発展の象徴である新興線も、痕跡が残されているのはわずかだ
それでも、神奈川区の守屋町や恵比須町にはさまざまな工場や事業所が集まり、横浜や日本を支え続けているのは間違いない。
普段の生活とはなじみが薄いかもしれない地区だが、その役割に目を向けると新たな発見がありそうだ。
ー終わりー
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たけむらさん
2018年02月15日 22時16分
工場火災の取材の時に発見したのかな。日本国内でアルミニウムの製錬をしていた頃の名残なのです。電力価格の高さから、国内での製錬は壊滅してしまいました。
雲葉 @since1992さん
2018年02月15日 12時23分
この貨物線や新興駅の詳細は2011年11月に記事化されてますよ。 http://hamarepo.com/story.php?story_id=600
ei1981さん
2018年02月15日 09時04分
ちょっと薄い。このあと貨物線は昭和電工敷地(ここも痕跡が残っています)で角度を90度変え、鶴見区方向へ。その先の新興駅へ繋がりました。数年前に撤去されましたが道沿いに貨物線が残り、日産前は線路の痕跡も。他の橋脚も残っているはず。是非追記をお願いします。