落語家の桂歌丸さんが81歳で逝去。愛し続けた地元・真金町に残る足跡とは
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7月2日、日本中に愛された落語家の桂歌丸さんが81歳で逝去した。地元・真金町に残された足跡とは?(はまれぽ編集部)
ライター:はまれぽ編集部
横浜市出身の落語家、桂歌丸(かつら・うたまる)さんが2018(平成30)年7月2日、その81年の生涯を終えた。
地元・横浜橋商店街も歌丸さんを追悼
すごみのある語り口から女性の柔らかな口調まで、多彩な表現が持ち味の落語は広く愛され、古典落語の継承にも力を入れてきた功労者。
ただそれ以上に、私たちの記憶に残るのは『笑点』大喜利でお茶の間を大いに笑わせ、お馴染みとなっていた姿に違いない。
多くの人に「日曜日の原風景」として刻まれている歌丸さんがもういないということは、日本で暮らす誰もにとって大きすぎる喪失だ。
そんな歌丸さんは、生涯を通じて横浜市南区の真金町に在住。名誉顧問も務めた地元・横浜橋商店街には、7月3日から献花台が設けられた。
献花台には弔問の方が絶えない
奥様と二人で商店街に買い物に出掛けることも多く、地域にとってはテレビで見る以上に身近な存在だった。
自宅からも近い横浜橋商店街は生活の拠点でもあった
商店街には歌丸さんの行きつけの店があちこちにあり、いまでもひょっこり本人が現れそうな雰囲気。
歌丸さんの訃報の翌日、商店街はどこか物静かだった
商店街の入り口に2011(平成23)年に植えられた桜には「歌丸桜」の名前が付けられており、この地域で歌丸さんの存在がどれだけ大きなものかを物語っている。
すっかり街のモニュメントになっている
春には満開になる歌丸桜
真金町遊郭の名残である金刀比羅大鷲神社にも、歌丸さんの名前が刻まれている。
こんなところにもつながりが残されている
歌丸さんは真金町の遊郭「富士楼」で育ったという。生涯暮らし続けてきた地元への愛着は強く、三吉演芸場での独演会を開き、文化的にも貢献してきた。
南区万世町の三吉演芸場。全国の劇団の憧れの場所
日本を代表する落語家になっても、地元への愛を忘れなかった
歌丸さんが地元に残したその足跡の大きさゆえに、失った悲しみもまた大きい。
はまれぽでは、桂歌丸さんのご冥福を心からお祈りするとともに、生前の歌丸さんを知る人々へお話をうかがい、ゆかりの場所や思い出を紹介していく予定です。
ー終わりー
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s.happyさん
2018年07月03日 15時10分
毎春、歌丸桜が咲くと師匠の事を思い出すでしょう。この商店街がとても良く似合う庶民的な方でした。浜っ子が自慢出来る人を失ってしまいました。