横浜道を分断していた大踏切が撤去された経緯は?
ココがキニナル!
「横浜道(よこはまみち)」って歴史的にもかなり重要な道だと思うのですが、実際に歩いてみると西区平沼の線路で見事に分断されていて驚きます。大踏切が撤去された経緯がキニナリます(濱のホタルさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「遮断時間が長い踏切道は除去を推進する」という国の政策に基づき、平沼橋の架け替え時にエレベーターを設置し2004(平成16)年11月1日に閉鎖された。
ライター:橘 アリー
横浜道を歩く(つづき)
平沼橋を渡った所にあるエレベーターを降りると、そこから平沼商店街
ここからは、また、一本の道として進んで行ける。
平沼商店街が終わった所に敷島橋がある
戸部から野毛へ向かう「横浜道」の様子
歩道には、所々に「横浜道」のプレートが埋め込まれている
野毛の切り通しの様子
都橋の様子
「吉田橋」の様子。ここまでが「横浜道」である
「横浜道」を歩いてみて、線路で分断されている様子が分かったので、次は、なぜ大踏切を撤去したのかを横浜市道路局に聞いてみることに。
開かずの踏切だった!
横浜市道路局建設部橋梁課の松本さんに、お話を伺った。
―なぜ踏切を撤去することになったのでしょうか?
「遮断時間が長い踏切に関しては、「踏切を除去していく」という国の政策があり、それに基づいて撤去することになりました」
―最高で、どのくらいの遮断時間だったのでしょうか?
「列車運行のピーク時で、1時間のうち59分位の遮断時間がありました」
遮断機が開くのを待っている人の様子(横浜市道路局建設部橋梁課より)
踏切内の様子(横浜市道路局建設部橋梁課より)
―踏切撤去に関して、周囲の反応はどのようなものでしたか?
「鉄道会社の方からは、無理に踏切を渡ろうとして起こる事故を防ぐためにも、踏切を撤去してほしいという要望がありました。
しかし、地元商店街から、踏切を撤去すると人の流れが変わってしまうという懸念から反対がありました」
遮断機が下りている踏切の様子(横浜市道路局建設部橋梁課より)
―地元からの反対がある中、踏切撤去はどのように行われたのでしょうか?
「踏切撤去が検討されている中、老朽化していた平沼橋の架け替え工事が計画されていたので、平沼橋の架け替えの時に、人も自転車も使えるエレベーターを設置することになりました。
平沼橋の架け替え工事は、1988(昭和63)に始まり、1997(平成9)年に完成しました。
完成当時はまだ地元商店街の反対があったので、踏切撤去に関しての説明会などを行い、エレベーターを使って人の行き来を観察しました。
エレベーターは閉鎖されている時間帯がありますが、電車が運行している時間帯は使えますので、「踏切を撤去しても人の流れはそれほど変わらないであろう」という結論に至り、2004(平成16)年11月1日に踏切を閉鎖しました」
取材を終えて
開港当時、東海道から港へ行くのに「横浜道」はとても便利な道だった。
今でも、線路で分断されてはいるが、歩いてみるとけっこう心地良い道なので、開港当時の様子を想い浮かべながら歩いてみるのも良いものだ。
当時の「横浜道」の様子の「横浜絵」(「横浜道」の看板より)
―終わり―
マリンルージュさん
2016年10月10日 05時05分
先日、CSで再放送していたフジTVの刑事ドラマ「シバトラ」を見ていたらこの大踏切が映っていました。ロケをした時期は多分閉鎖したばかりの頃でしょうか、簡単な柵で閉じただけという感じでした。ビデオをお持ちの方は第7話をチェック。
USAさん
2016年10月07日 02時39分
割と古い記事だけど懐かしい。13本くらい待った記憶があります。途中から本数が増えるほうが楽しくなるという…
sukinoahさん
2014年01月17日 19時01分
いろいろなものに「浅間町交差点」と記載されていますが、「浅間下交差点」ですよね。