横浜唯一の藩「六浦藩」の昔と今を教えて!
ココがキニナル!
江戸時代にあった横浜唯一の藩「六浦藩」。本拠地の六浦陣屋跡地には藩主のご子孫が住まわれていると聞きましたが今もお住まいですか?六浦陣屋跡を史跡公園等に整備するなどの計画は?(たちさんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
藩主のご子孫は、しばらくは「子爵」として、現在は一般市民として跡地の一画にお住まい。跡地は、住宅地になっていて史跡公園などにする計画は無い。
ライター:橘 アリー
陣屋跡の様子は?(つづき)
陣屋跡へは、NPO法人横濱金澤シティガイド協会の理事である、廣田保さんに案内していただいた。
シティガイド協会の事務所にて。廣田保さん(右)と山口隆(たかし)さん
米倉丹後守陣屋全図の模写。旧金沢藩士の角田武夫が、
1899(明治32)年に模写したものをもとに作成
横須賀街道(国道16号線)の「金沢八景南口」交差点近辺から見た陣屋跡の様子
陣屋跡地は、京浜急行駅南側の小さなガードを入った所にある。
ガードの中から見た陣屋跡の様子
このガードの場所は、「米倉丹後守陣屋全図の模写」の裏門辺りの位置になるようだ。
左側にあるのが表門だが、通常は裏門から出入りすることが多かったそうだ。
現在の陣屋跡は、米倉氏ご子孫のほかにも個人の方のお宅が建っているので、プライバシーが守られる範囲で、道路の様子などがわかるように撮影させていただいた。
道路は普通乗用車が1台通れるほどの幅で、のんびりした雰囲気
接している権現山のガケは、ほとんどの箇所が、急傾斜地崩壊対策工事がされている。
ガケの壁面には表示が
まだ工事前のガケには草木が生い茂っている
昔の鎌倉道にあたるのがこの道路
「米倉丹後守陣屋全図の模写」の表門を出た辺りには、「泥牛庵」というお寺がある。
泥牛庵の様子
この泥牛庵の山頂は「御茶山」と呼ばれていて、大名の見晴らし台とされていたようである。
当時は海を見渡せたようだが、現在は見えない
取材を終えて
横濱金澤シティガイド協会の事務所に、陣屋が無くなった後の明治時代の陣屋跡地の写真が飾られていた。
現在の「瀬戸橋」の辺りから見た様子。
建物の奥の、中央から左側の山のふもとの辺りが陣屋跡地
現在の「瀬戸橋」の上から。建物で阻まれて、陣屋跡は見えない
陣屋跡地は、当時の面影は無く、現在は静かな住宅地となっている。もしも訪れる場合は、その静けさを壊さないように気遣っていただきたい。
―終わり―
papantsuさん
2018年07月26日 17時42分
以前この地のアパートに住んでいたので、この緑がうっそうとした家は何だろうと思っておりました。ようやくモヤモヤがはっきりしました。ありがとうございます。
たちさんさん
2013年05月20日 22時55分
素晴らしいレポートでした。特に陣屋全図は、一般的な書籍では掲載されてない物だけに興味深く拝見しました。谷を本拠にした城郭(六浦藩は陣屋ですが)というのは全国的にも珍しいだけに、なお一層興味を持てました。戦国時代の朝倉氏の一乗谷とは規模も時代も違いますが、史跡公園として整備されれば良いのにな…なんて思っていたので、完全な住宅街と化している現況を写真で見せて頂き、夢のまた夢だという事がハッキリ解りました。残念!