久保町、元久保町、東久保町は西区なのに、西久保町だけ保土ケ谷区なのはどうして?
ココがキニナル!
西区・・・久保町、元久保町、東久保町。保土ケ谷区・・・西久保町。どうして区が違うの?もとはひとつだったの?由来を教えて!(PINさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
南区創設と同様、戦時下で警察の管轄に区割りを合わせ、西久保町だけが保土ケ谷区に編入された! 編入された年も南区誕生と同じ昭和18年だった!
ライター:田中 大輔
南区誕生と理由は同じ?
このことは、『横浜市会会議録 昭和18年』に残されている。
“市第76號(ごう)議案”がそれで、区の新設のほかに“區ノ區域變更(区の区域変更)”が含まれている。
神奈川区から13の町と2つの町の一部を中区に編入しようというのが一つで、もう一つが“中區ノ内左の區域ヲ保土ヶ谷區に編入ス”というもの。
この中区から保土ケ谷区に編入された「左の區域」が西久保町というわけだ。
昭和18年の会議録より。西久保町を保土ケ谷へ、と提案されている
議会で可決されたこの議案は、“横濱市告示第百九十三號”として市民に知らされたことが『横浜市報』にも残されている。
中区に残った久保町、元久保町、東久保町は翌1944(昭和19)年の分区で西区へと移っていくわけだが、なぜ西久保町だけが事前に保土ケ谷区に編入されたのだろうか。
こちらは議会での決定後に発行された市報。一番左に西久保町の文字が
実は、その理由は南区が新設された理由と同じなのだ。
南区、さらには西区が中区から分かれたのは、戦時中という特別な時局下において中区が大きすぎ、人口も増えすぎたからである。
防空や物資配給の効率が悪くなってしまっていて、さらに警察署の管轄と区界が異なっていたことも問題視されていた。
そのため、警察署の管轄域に合わせて中区を3区に分けて再編したというわけだ。
保土ケ谷に“戻ってきた”!?
『保土ケ谷区史』にこうある。
「西久保町の町境は今井川をはさんで(保土ケ谷区)岩間町と隣接しており、当時の保土ケ谷区役所と保土ケ谷警察署は目の前にあった」。
しかし、いくら区役所が目の前にあっても、それは自分たちの区役所ではない。中区民であった西久保町民は、用があれば中区役所まで出向かなくてはならなかったのだ。
西久保から中区役所までの道のりの一例。ちょっと面倒くさい(Googleマップより)
そのくせ、警察の管轄としては保土ケ谷警察署に含まれていた。
このことは1929(昭和4)年に作られた『神奈川縣警察要覧』からも見て取れる。
保土ケ谷警察署の管轄区域として中区久保町のいくつかの字が含まれていることが書かれているのだ。
これらの字名は、『横浜の町名(初版)』に書かれた西久保町の町域となった字とも一致している。
つまり、西久保町は警察の管轄域に合わせる形で保土ケ谷区に編入されたというわけで、保土ヶ谷区史では「もともと保土ケ谷であった地域がようやく戻ってきたという感じであった」と評している。
現在の交通反則通告センターが当時の保土ケ谷警察署だった
そのすぐ裏手には今井川が流れている。川の向こうはもう西久保町
つまり、冒頭で紹介した“寺尾”のケースというよりも、「中区花咲町、西区花咲町。なぜ分かれているの?」で紹介した花咲町のパターンと同じなのだ。
戦時下という特別な環境で、少しでも効率良く町を機能させようとした結果が、保土ケ谷区西久保町の存在理由でもあると言えるのかもしれない。
取材を終えて
昭和初期に区制が始まり、15年と経たないうちに戦争に突入してしまった横浜ならではの事情。そんなものが垣間見える区域変更だった。
南区や西区の創設はその象徴的な例として挙げられることもあるだろうが、それだけでなくもう少し小さい範囲でも同じようなことが起きていたのだ。
もし戦争が起きていなかったら、区割りはどうなっていたのだろう。
平時でも警察の管轄が区界をまたいでいると混乱しそうではあるが、当時は警察サイドに断られた管轄域の変更が実行に移されていたのかもしれない。
まぁ、戦争が起きなかったら、の仮定で話すには小さすぎる話題かもしれないが、今ではヘンテコに見える区割りにはこんな秘密が隠されていたのだった。
―終わり―
デス男さん
2016年12月14日 10時04分
このテの話は横浜に限らず、川崎にもありますな。高津区と宮前区に跨がっている「野川」もありますな。
mirrorさん
2013年10月07日 17時36分
西久保町が久保町全体の西寄りのエリアにあるのは良いとして、東久保町が久保町よりも西にあり、一番東にあるのが久保町?なんでこうなるかな?他の町でも同様な事はありますけどね。
ハマッコさん
2013年10月07日 14時23分
港南区には「大久保町」があります。昭和2年に久良岐郡が横浜市中区に編入される以前は「久保村」でした。横浜市への編入に際して「久保町」が中区に2ケ所存在する事になり、久良岐郡久保村は「中区大久保町」になりました。