幻の東急東横線「本横浜駅」、たった3年で廃駅になった理由とは?
ココがキニナル!
昭和の初め、東急東横線「本横浜駅」があったそうです。3年も経たず廃止となったのは何故でしょうか、そして本横浜の「本」とは何のことでしょうか?(ねこぼくさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
二代目横浜駅の隣にあったことから、本来のという意味で「本横浜駅」だったが、廃駅ではなく、三代目横浜駅の誕生後、「高島町駅」に改称された
ライター:河野 哲弥
駅名改称には、横浜駅の移転が関わっていた
(つづき)
問題はここからである。
もともと三代目横浜駅は、1923(大正12)年に発生した関東大震災によって二代目横浜駅が焼失したため、新設することになった。
しかし、震災復興における区画整理は難航し、「本横浜駅」周辺も例外ではなかった。『回想の東京急行Ⅰ』によると、「高島駅」および「本横浜駅」は、ガード上に仮駅を建てて営業していたとある。
その後の1931(昭和6)年、区画整理が落ち着いたところで、本格的な駅舎による新駅を、わずかに南側に開設した。これが「高島町駅」である。
駅名を再び変えた理由だが、現存する資料がないので詳しいことは不明と平井先生。しかし、三代目横浜駅の認知が広まるにつれて、『本横浜駅』と『横浜駅』との混同を招く恐れがあることは、十分に予想されたことだろう。
その後、2004(平成16)年1月に東急東横線の横浜~桜木町間が廃線となり、それにともない「高島町駅」は廃駅となった。
かつての「本横浜駅」跡を訪ねて
「本横浜駅」や「高島駅」も、ガードの上にある仮駅だったので、東急東横線の「高島町駅」跡を巡ってみることにする。
高島町交差点北側のマンション敷地内にある、二代目横浜駅の跡
煉瓦作りの遺構が佇んでいた
東急東横線の廃線跡は、JR根岸線の西側に、まだその一部が残っている。「高島町駅」の解体工事は、約10年近く経ったいまも完全には終わっていないようだ。
「高島町駅」の跡地。ホームへの上り階段のようなものが確認できる
資料では、このわずか北側に「本横浜駅」があったとのこと。そこで、ここから北の高架沿いに、カメラを向けてみた。
「本横浜駅」の面影はどこにもうかがえない
だいたいの位置関係図(Google Mapより)
取材を終えて
「本横浜駅」の廃駅には三代目横浜駅が関わっていたわけだが、その背景には、関東大震災による二代目横浜駅の焼失がある。また、前回の「新太田町駅」は、横浜大空襲によって焼失した。
「幻の駅を追うと、歴史が見える」。そんな視点があることに気づいた、今回の取材だった。
―終わり―
ゆうちゃん~さん
2015年10月11日 17時20分
参考文献の著者名は、誤)荻原次郎 → 正)荻原二郎 です。ご注意のほどを。
とうさんさん
2013年10月15日 10時28分
横に高架橋ができて右側の駅舎がなくなり 前のタクシー乗り場がなくなっているから 1960年代後半から 1970年代の 桜木町駅だね そもそも1931年に こんなに車が走っていないよ しかもモダンな車が(爆)
ねむねむさん
2013年10月15日 10時17分
「新設当時の「高島町駅」」の写真は、誰がどう見ても昔の桜木町駅です。横浜の人間なら誰でも分かるでしょうに。あまりにチェックがずさんでは?