約1000年前からあるやぐら? 金沢区六浦のスシロー裏にあるぽっかり開いた巨大な謎の穴の正体は!?
ココがキニナル!
環状4号沿い、六浦にあるスシローの駐車場から見える謎の穴。一体何なのでしょうか?通る度に気になります。調査をお願いします(らむねさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
穴の正体は横浜市の見解ではやぐらである。ただやぐらを調査してみないと確定はできないとのこと。
ライター:三輪 大輔
やぐらの辿った運命
「室町時代の後半になると、やぐらは作られなくなります。残されたやぐらも、寺の管理が及ばないところでは廃れてしまいました。穴が拡張され、倉庫や防空壕などに使用されたりもしています」
江戸時代には、やぐらが墓として再利用されている例もあったという。近くには、明治時代の初めごろまで嶺松寺があり、その影響が及んでいたのかもしれない。現在、上行寺裏にやぐらが残っているのは寺の影響力が残っていたからである。墓地にマンションが建設される話はよく聞くが、ずっと以前から墓を別の用途に使用することは行われてきたのだ。
江戸時代に墓として再利用されたやぐら
それではスシローの駐車場にある穴も、やぐらなのだろうか。 その疑問について阿部さんが答えてくれた。
「やぐらは穴の形状や、地下に土器などの埋葬品があるかどうかで判断します。実際に現地に行って調査をしてみないと判断できませんが、投稿があった穴をやぐらと認定するのは難しそうですね。写真を見る限り穴が真四角ではなく、入り口もあまりに大きすぎます」
「また、やぐらは周辺にいくつか密集して見つかることが多くありますが、今回投稿のあった場所は2つだけです。その点もキニナりますね」
そもそも「かながわ考古学財団」でやぐらの調査を行うのは、がけ崩れ防止などの擁壁(ようへき)工事が行われるときになる。やぐらが壊されてしまう前に調査を行い、その結果を記録として書籍などに残しているのだ。
工事現場のすぐ近くで調査が行われているやぐら
擁壁工事が終了すると、やぐらの形跡もなくなる
「可能性としては、やぐらであったと考えることもできます。しかし調査をしてみないことには断定できません」と阿部さんも言うように、投稿にあった穴をやぐらと判断するのは難しいようだ。
それでは現地の人は、あの穴の正体を知っているのだろうか。そこで実際に六浦へ行ってみることにした。
六浦の周辺で聞き込み調査
「スシローができる前、ここはスーパーだったんですよ。そのとき穴は見えませんでした。2015(平成27)年の3月にスシローができて、大きな穴があるのが分かったんです」
スシローの駐車場から見える穴について「スシロー金沢八景店」のスタッフに尋ねてみたところ、このような答えが返ってきた。仕事中であるため写真はNGであるが、対応してくれたのは20代前半と30代後半の女性スタッフである。
スシロー 金沢八景店。ここの駐車場に投稿にあった穴がある
20代前半の女性スタッフの方が六浦出身であった。そこで学校などで穴について何か教えてもらったことがないか訪ねてみたが「何も聞いたことはありませんね。学校では防空壕の話も聞きませんでした」とのことだ。
すると「修行僧が使っていたなんて話があるけどね」と話してくれる人がいた。ちょうどスシローに来店されていた萬成修(まんなり・おさむ)さんである。
テイクアウトのお寿司を買いに来ていた萬成さん
萬成さんは六浦に来て十数年経つ。その中で噂話として、上記のような話を聞いたという。
「六浦は歴史のある場所でしょ。鎌倉時代には塩の製造が盛んで、六浦路なんて道もあったくらいだしね。ただ穴の詳しい歴史については知らないな」
六浦周辺の歴史に詳しい萬成さんも、穴の詳細は分からないそうだ。そこで次にやぐら群のある上行寺に行ってみることにした。
荘厳なつくりの上行寺
しかし寺の関係者の方に、スシローの穴について尋ねてみるものの「あの穴が、どうしてできたかは聞いたことがないです」とのことだった。
スシローの1階にあるセブンイレブンでも聞き込みをしてみたが、穴に関する情報を持つ人には出会えなかった。念のため、スシローの穴の裏手に建つ一軒家にも訪問してみたが インターホンを押すものの反応はない。そして最後に入った場所が、冒頭のエピソードを聞かせてくれた岩澤(いわさわ)さんの自転車店である。
スシローのすぐ近くにある岩澤さんが営む自転車店
「六浦に住んで60年以上経つけど、穴の歴史ついては聞いたことがないな。上行寺裏のやぐらも知っているよ。でもスシローの穴は巨大で、やぐらとは雰囲気が違うよね。あの大きさを掘るのに力がいるし、そんな昔に作られたとは思えないけどな」
六浦の歴史を調査する方や六浦の歴史に詳しい方、そして地元に長く住んでいる方でも分からないスシローの穴の正体。地域の歴史な背景から鑑みると、やぐらとの符号点は多い。そこで最後に、穴の前に設置されたフェンスから辿って、横浜市の生涯学習文化財課に問い合わせてみた。
横浜市の生涯学習文化財課も入っている関内駅前の庁舎
「周辺状況から鑑みて、スシローの穴はやぐらであると認識しています。やぐらが別の用途に使用されることで、現在の形状になったのでしょう。穴の前のフェンスは、スシローができた頃に危険防止のために設置をしました」
また筆者が尋ねたものの留守であったお宅の私有地には、複数のやぐらがあるらしい。こうしたやぐらに関する情報は、神奈川県文化遺産化や横浜市市民情報センターなどで閲覧することができる。
しかし、あくまでも周辺状況からの総合的な判断で、スシローの穴自体を本格的に調査した訳ではない。かながわ考古学財団の方々の立場としては、専門家として調査をすることなしに、やぐらと断定する訳にはいかないのだろう。穴のある傾斜地の擁壁工事が行われるとき、真相が明らかになるかもしれない。
取材を終えて
2013(平成25)年に未登録となったが、現在も「武家の古都・鎌倉」を世界文化遺産登録へという動きがある。前回、登録に至らなかった理由の1つに、物証が少ないということがあった。それは鎌倉時代の遺産が残されていないということでもある。
やぐらは鎌倉周辺でしか見ることができず、当時の武士たちを知る手掛かりになる。しっかりと保存され、鎌倉時代の遺産として後世に残していくことが大切であると感じた。
―終わり―
すいつきさん
2020年07月09日 04時25分
スシローの前のスーパーって生協?
ももたろんさん
2016年12月09日 13時11分
鎌倉も住宅街に入ると、やぐら跡を自治体のゴミ置場になっていますね。元お墓だと思うと複雑です。
わんわんさん
2016年02月28日 09時30分
あの穴のある崖を観察すると、明らかに海蝕崖ですよね。環状4号線から横須賀側は海だったと聞きましたし、上行寺境内に舟繋ぎ場の跡もあります。おそらく形からしても海蝕洞ではないでしょうか。元からあった海蝕洞な周りに後からやぐらが作られたように思います。