湘南モノレールとドリームランド線はどこまで延伸する計画だった?~ドリームランド線編
ココがキニナル!
ドリームランドのモノレールを大船ー海老名間を直通で結ぶ、というような計画があったらしいのですが、大船ー海老名って、もうつながる予定はないんでしょうか(takechanさん)
はまれぽ調査結果!
ドリームランドモノレールは、善行や海老名までなどの延伸が予定されていたが、建設初期段階のミスが原因で開業から約1年あまりで運休になった
ライター:小方 サダオ
ドリームランド線はどこへと延びる計画だったのか
このドリームランド線に延伸の話があったとのことだが、どこへ伸びる予定だったのだろうか?
大船駅と海老名駅間を直通する話があったということは、以前ドリームランド線の終着駅があった場所の先の海老名方面に延びるということだったのかもしれない。
ドリームランド駅があった場所(青矢印)と海老名方面(緑矢印、Googlemapより)
現地を訪れ、海老名方面を目指すこととした。
以前ドリームランドがあった場所は横浜薬科大学や俣野公園になっていて、1972(昭和47)年に入居が始まったドリームハイツという大規模高層団地群が隣接する。
「ドリームハイツ」交差点
ドリームハイツ
以前高架が走っていた深谷共同住宅の近くの住民に伺うと、「(深谷共同住宅の)駐車場の真ん中に駅が出来て、枝分かれしたもう一本が六会へと向かう予定だった。市が駅を作る計画まで進んでいたよ」と教えてくれた。
この場所に駅が出来る計画があったという
またドリームハイツの南側に住む人に伺うと、「この近くに私たちの会社がありましたが、社員はドリームランド線で通っていました。また当時ドリームハイツの北側に住んでいた友人は、家の近くに『ドリームランド線が通るので便利になる』と喜んでいました」とのこと。
ドリームランド駅(赤枠)から北側(紫枠)や深谷共同住宅(青矢印)から六会方面(緑矢印)に延びる話があった(Googlemapより)
ドリームハイツを北上したあたりの農家の男性に伺うと、「ドリームランド駅から瀬谷に北上する計画がありました」とのことで、さまざまな計画があったようだ。
そしてある女性から「ドリームランド線は田中議員が力を入れた計画ですよ」と教えてくれたので、現地取材を中止し、ご本人に話を伺うことにした。
ドリームハイツの冊子にはモノレールの予定図が記されている
ドリームランド線のために尽力した田中議員に話を伺う
前・衆議院議員の田中慶秋(たなか・けいしゅう)さんに話を伺うことにした。
田中さんの事務所
前・衆議院議員の田中さん
ドリームランド線については、
「開通当初は良かったのですが、約1年後止まってしまいました。湘南モノレールのようなハンガー方式(レールから吊り下げるタイプ)だと良かったのですが、軌道の上を走る方式だったため重量オーバーで軌道がもたなかったのです。
レールと車両の製造者同士の裁判になりましたが、後に和解しました」
車両の重さにレールが耐えられなかったという
「私は1971(昭和46)年に神奈川県議会議員に初当選してから、ドリームランド線とその利用者の問題に取り組みました。ドリームランド駅の主たる利用者となるドリームハイツの住人にとって、近い駅は戸塚駅と大船駅しかありませんでした。ハイツからのバスはありましたが、慢性的な国道1号線の渋滞に影響されるため、大船駅からドリームハイツを結ぶモノレールは必要性が大きかったのです。
リニアモーターカーを通す形での再開の動きや、軌道の跡地をドリームハイツ専用のバスレーンにするなどの計画が持ち上がりましたが、どれも実現は難しいものでした。その後事実上廃止が決定したのです」
軌道の撤去の様子。2004(平成16)年ごろ
「モノレールが廃止になったこともあり、交通の便を良くするために、以前から問題になっていた原宿交差点の立体化のための活動を本格的に始めました。その後立体交差は実現しましたが、国道一号線を片側三車線にするなど、実態に合う完成形にはまだ至っておらず、現在も活動中です」とのこと。2011(平成23)年に開通した原宿交差点の立体交差は、モノレールが廃止になったことが推進力になったようだ。
立体化された原宿交差点
次に延伸については、
「1966年(昭和41年)の大船~ドリームランド間が開業した後、私が1971(昭和46)年に神奈川県議会議員に初当選する2年ほど前から、ドリームランド線や原宿交差点の立体交差の問題に取り組んでいました。初期段階でドリーム開発側は小雀信号所から小田急線の善行駅に延伸することは計画していました」
小雀信号所から善行駅への延伸計画があった(緑矢印、Googlemapより)
「また今から20年くらい前の再開計画時には、ドリームランドから湘南台、海老名への路線と深谷住宅のあたりから分岐し、善行を通って海老名へと向かう路線の2案が上がりました。市は当初は協力的でしたが、こどもの国線の方に力を入れること(こどもの国線は1997《平成9》年8月に第三セクター横浜高速鉄道《横浜市や神奈川県などが出資する鉄道会社》に譲渡され、同年10月から改良工事に着手した)になったことなどで、この計画も実現が難しくなりました」
「ドリームランド→海老名(青矢印)と「深谷住宅→海老名(緑矢印)」への2路線の案があった(Googlemapより)
また2000(平成12)年ごろ、環状四号線に並行する形で、その上を通る公共交通機関として、ドリームランド線を三ツ境まで通す計画を市が立てました」と答えてくれた。
ドリームランド駅(青矢印)から湘南台駅(青線)と三ツ境(紫線)への延伸計画(緑線)があった(Googlemapより)
さまざまな延伸計画が上がり、ドリームランド線には多くの人たちが期待を寄せていたことがわかった。
取材を終えて
ドリームランド線に隣接していたドリームハイツはもちろんのこと、軌道沿いの駅の予定地の近くに家を買った人たちからは、未だにモノレールの廃止に不満を持っている声が聞かれた。さらに前出の延伸を喜ぶ声のように、延伸することを期待して家などを建てた人も同じ気持ちだったのではないだろうか? 公共交通機関が通ることによる周辺住民への影響は多大なものがあることを感じた。
旧ホテルエンパイアから撮った深谷共同住宅あたりを通っていた軌道
―終わり―
toshinomiya3さん
2018年01月14日 18時31分
モノレール大船駅は、当初は連絡通路を国鉄大船駅まで伸ばして、直接乗り換え出来るように考えておりました。しかし、ドリーム交通が国鉄に申請したが承諾されず、仕方なく少し離れた場所に駅を作ったようです。一方、ドリームランド駅からは一部を複線でレールを敷設しており、宇田川付近で大船駅方と長後駅方へ分かれる計画になってました。当時の日本ドリーム観光の資料にも明記されています。当時は湘南台駅は各駅停車しか停まらない駅でしたので、急行が停まる長後駅へ延伸する計画が自然と言えると思います。何れにしても、アップダウンの勾配がきついルートを選択してしまった事で奈良ドリームランドの「スペースライナー」の基本設計から各部品を増強した結果、車両重量が30→46tも増えたことは運休から廃止になった大きな要因のように思います。最後に昭和60年代は旧モノレール大船駅に芸術家が住んでおり、私もお邪魔したことがありました。
だれかさん
2017年11月13日 11時33分
もし海老名方面に延伸していたら小田急・相鉄との関係はどうなっていたのでしょうか
狐猫さん
2017年11月12日 22時49分
違う話題になりますが、小田急線の特急、今は毎日朝晩2~3便づつ「向ヶ丘遊園」駅にも停車していますが、来期からは無くなってしまうそうです。遊園地とモノレールが有った頃は日中も数便停車していました。・・・向ヶ丘遊園駅停車の特急が停車していた新松田駅も通過駅になってしまうらしいです。・・・