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ドリームランドの名物キャラ、ヘイヘイおじさんの現在は?

ココがキニナル!

ドリームランドにいたヘイヘイおじさんは現在何をしているんでしょうか?(hondairieさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

今もお元気で、趣味の旅行や温泉を楽しむ日々を送っています。「人を喜ばせたい」というサービス精神は今でも健在でした。

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ライター:ほしば あずみ

ヘイヘイおじさんの誕生



新井さんは佐賀県出身で若いころは鮨屋や酒屋で働いたりと職を転々としていた。

転機は奈良ドリームランド(1961年開園~2006年閉園)で働いていた妹さんからの誘いだった。「今度、横浜にドリームランドを作るんだって。きっと向いてると思うから働いてみたら?」と勧めてくれたのだという。

当時、24歳だった新井さんはドリームランド開園前の1964(昭和39)年5月に横浜へ移住。以来、ドリームランドの開園から閉園までを見届け、今も横浜在住だ。
 


「ずっとドリームランドのそばで暮らしてきたもの。横浜がふるさとだと思ってるよ」


初めて見たドリームランドはまさに「夢の国」だったという。ディズニーランドを見て感銘を受けた社長が「日本にもこんな遊園地を」と願って作っただけに、それまでの日本になかったデザインとアイデアに満ちており、パレードもアトラクションも何もかもが珍しかったのだそうだ。

「きっと向いている」という妹さんの言葉どおり、新井さんは持前のサービス精神を発揮。
様々なアトラクションを担当したが、何かひと工夫付け足さずにはいられなかった。

ジャングル探検では説明だけでは足りず、動物たちをピストルで撃つ真似をしたり、ワンダーホイール(大観覧者)もお客さんが乗りこんだところでこっそり押して揺らしたり、電車の車掌をすれば歌いだしたりといったように。
 


持前のサービス精神を常に発揮していた当時の新井さん


「お客さんの喜んでいる顔が見たい」その思いのまま座ったのがミュージックエキスプレスの操作盤の前だった。

「ミュージックエキスプレスなのにミュージックが流れなかったんだよ。黙って動かしてたんじゃつまらないから、歌ってしゃべって操作してたんだけど、ある時、若い女の子が『おじさん学園天国歌ってよ』ってリクエストしてきて。
小泉今日子が歌って流行ってたんだよね。それでヘーイヘイヘイってやりはじめると、それを聞いてみんな集まってきた。歌ってと集まってくるから歌わないのも悪いしね。
それで女の子たちが『ヘイヘイおじさん』って呼びはじめて。お客さんが喜んでくれるのが何よりだもの、ヘイヘイおじさんで良かったと思うよ」
 


「声が出るところに人は集まる。今の遊園地だってそうだよ、楽しければ人は来るんだよ」


ヘイヘイおじさんのパフォーマンスでミュージックエキスプレスはドリームランド1番の人気アトラクションになったが、人気の秘密は歌や掛け合いだけではない。

「本当は小さい子は身長が足りないから乗せちゃいけないんだけど、最低速度でゆっくり回してやったりね。それだと他のお客さんは楽しくないから次はスピードを上げて回して、そしたら子どもたちがそれを見て“さっきはゆっくりすぎた”なんて言ってもう一度乗りたがって。パスを使って一日に何度も何度も繰り返し乗るお客さんもいたよ」

ミュージックエキスプレスは時速40~90キロでスピードを変える事ができ、逆回転もできる。それを新井さんはお客さんの状態や反応を見ながら巧みに操作し、時には乗車時間も延長してお客さんを喜ばせた。

自動制御のアトラクションでは味わえないぬくもりが、ヘイヘイおじさんとミュージックエキスプレスにはあったのだ。
 


 

「来る人を喜ばせたい」がヘイヘイおじさんの原動力だった


「もしドリームランドが復活したら、また働きたいしミュージック(エキスプレス)を回したいねえ。だってあんな楽しいところはないじゃない」と顔をほころばせる新井さん。

ドリームランド誕生から終焉までの38年は新井さんの人生そのものでもあった。入場者数の落ち込みで苦労もあったに違いないのだが、新井さんから語られるのは大勢のお客さんが行列を作り、ドリームランドが輝いていた日々の思い出。それもまるで昨日の事のように。

ヘイヘイおじさんの心の中では、今でもミュージックエキスプレスは回っているのだろう。



取材を終えて



ヘイヘイおじさんは静かに余生を送っていた。お客さんが喜ぶ事を常に大事にしたその温かさは、10年経っても人々の記憶に残り続けている。

インタビュー中も、好きなものを聞かれ、「焼肉。嫌いなもの、激しい運動」とどこかで聞いたセリフで我々を笑わせるなど、サービス精神は今でも健在だった。いつまでもお元気で過ごしていただきたい。
 


筆者もヘイヘイおじさんと記念撮影

 

今回、記念に”あの曲”をヘイヘイおじさんに歌ってもらいました!

【動画】懐かしのヘイヘイおじさん【はまれぽ.com】



―終わり―
 

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  • 私も子どもの頃、何度かドリームランドに行きました。ミュージックエクスプレスにも乗ったと思いますが、70年代のことなので、潜水艦や観覧車、そして近衛兵のことくらいが記憶に残っています。幼稚園の遠足で行ったのが最初だったと思います。楽しい思い出しかありません。横浜市から離れ、ドリームランドが閉園したことを知ったのはその直後のことでした。いつまでもあるものと思って、いつかは自分の子どもを連れて行くのだろうと思っていたものですから、残念でなりません。

  • ドリームランド大好きです。今でも当時の園内を思い出しては、懐かしさと、もう二度と行くことはできないんだな…と感傷に浸ってしまいます。家族で何度も遊びに行き夢の一日を過ごしていました。薬科大学ができてから跡地に行ったことがあります。ここに観覧車があったんだ、ここには潜水艦があったのかも…左右に大きく揺れる船はここ。って感じで確かにここにドリームランドが存在したんだって実感できて感慨深かったです。大事な思い出を作ってくれてありがとう。ドリームランドもへいへいおじさんも大好きです。

  • 記事を読んでいたら、ジョップリンの「エンターテイナー」のメロディが頭をめぐりました。

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