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平和への誓いを新たに。5月10日に神奈川県立戦没者慰霊堂で行われた追悼式をレポート!

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上大岡(最戸)にある県立戦没者慰霊堂では毎年5月10日に追悼式が行われるそうです。追悼式の様子や慰霊堂が上大岡に作られた経緯が気になるのでレポお願いします。(浜っ子五代目さん)

はまれぽ調査結果!

追悼式は、戦没者への哀悼と平和への思いを新たにした厳粛な式だった。上大岡が慰霊堂の場所に選ばれたのは、交通の便などを勘案した結果と思われる

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ライター:松崎 辰彦

神奈川県戦没者慰霊堂が上大岡に建てられた理由とは?


 
そもそもなぜ、上大岡駅からほど近いあの場所に、神奈川県戦没者慰霊堂が建立されることになったのだろう。


神奈川県戦没者慰霊堂は、神奈川県が所有する慰霊施設である。運営管理するのは神奈川県保健福祉局福祉部生活援護課。課長代理兼グループリーダーの長谷川圭一さんにお話を伺った。

 


長谷川圭一さん
 

現在、慰霊堂がある場所は、かつては近くの寺院である千手院の土地であり、数十年前に同院より寄贈されたものという。
 
「寄贈されたのはすでに半世紀以上も前の話であり、明確な記録が残されておらず、その経緯など不明な点も多いです。ですが、あの場所に慰霊堂を作ることになったのは、それまで神奈川県には追悼施設がなく、やはりそうした施設が必要ではないかという機運が高まったとき、上大岡のあの土地がそれなりの広さを持ち、交通の便からも適切なのではないか、ということになったのではないかと思われます」

 

千手院
 

上大岡と戦争を結びつける特別な理由があって、というわけではないようである。

それでは、神奈川県戦没者慰霊堂はいつごろ完成したのか?

「1952(昭和27)年に初めて、県全体で戦没者を慰霊する行事を行いました。そのころはサンフランシスコ平和条約が締結されて、戦後処理の目処が立ったころでした。神奈川県戦没者慰霊堂が完成したのは翌年の1953(昭和28)年11月5日です」

 

神奈川県戦没者慰霊堂
 

神奈川県は当初、県主催の追悼式を春と秋の年2回実施していたという。5月と11月である。

「11月は慰霊堂ができた月、ということで行っていました。5月は、ある宮様が慰霊堂にこられたことがあり、それが5月10日だったことから、翌年以降も5月10日に追悼式を行うようになって、それが今日まで続いているということです」

11月の追悼式は現在では行われなくなっているが、これに関しては、
「それまで追悼式を相当数行い、もう参列者も一巡したのではないかと思われたので、1960(昭和35)年に11月の式を廃止し、県主催の追悼式を年1回としました」
とのこと。

なお定義として、戦地で軍人として亡くなった方とともに、日本国内で空襲その他で命を落とした方も含め、ここでは「戦没者」と規定しているということである。



遺族会も追悼式を行っている



実は現在でもかつてと同様、戦没者追悼式は年に2回開催されている。5月10日の式は神奈川県主催だが、ほかに8月15日にも追悼式があり、これは遺族会が主催している。

「慰霊堂には明治以降の戦争における戦死者、および戦災死者およそ5万8000名の名簿が納められており、亡くなられた方の魂の平安を祈念しております」

 

 

2013(平成25)年8月15日の追悼式で式辞を述べる黒岩知事
(画像提供:神奈川県)
 

5月の追悼式に関しては会場のキャパシティの問題もあり、参列できる方の数も限られているので、一般遺族の参列については市町村へ申し込んでいただいた上、定数を超えた場合は初めて参列いただく方を優先するなど市町村で調整いただいていると説明される。

そのほか戦没者の追悼を希望する団体に、審査のうえで施設を貸すこともある。

このように神奈川県の戦没者の魂のやすらかなることを祈念する慰霊堂だが、沖縄にも神奈川県民戦没者の慰霊施設があることを現在、神奈川県側は広報している。



南方での戦没者を悼む「神奈川の塔」



「沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)に、神奈川県民の戦没者を慰霊する『神奈川の塔』があります。神奈川県関係の4万680名の戦没者を追悼しています」

 

「神奈川の塔」(画像提供:神奈川県)
 

「神奈川の塔」は南方地域で戦没された方々を追悼し、平和を祈念するために終戦20年後にあたる1965(昭和40)年の11月26日、沖縄本島摩文仁の丘に建立されたものである。作られるにあたり建設委員会が設置され、県民から寄付を募ったところ、700万円を超える額が集まり、除幕式には遺族をはじめ700人以上が参列、盛大に挙行されたとのことである。

 

「神奈川の塔」全景(画像提供:神奈川県)
 

「しかし時間の経過とともに、施設も老朽化し、補修が必要となってきました。ついては県民の皆さまにご寄付をお願いいたしております」
 
長年雨風にさらされたこともあり、塔碑はもとより休息所や石畳の修繕も必要になってきたとのこと。一般から広く寄付を募り、未来へ向けて戦争の記憶を風化させないよう、ご協力をお願いしたいとしている。

 

 

施設が老朽化している(画像提供:神奈川県)
 

ますます遠くなる戦争の記憶。しかし、かけがえのない肉親を異国で、あるいは燃え盛る炎の中で亡くした人々にとって、愛した人の面影は終生、薄れることなく心のどこかで生き続けるものであろう。今日の繁栄がこうした人々の犠牲の上にあることを思うとき、追悼の念を引き継ぐことは何にも増して大切なことだと感じられる。



取材を終えて



戦後69年。徴兵や空襲、食料難の思い出が薄れる中で、戦没者慰霊堂は峻厳(しゅんげん)に、いかなる時流とも無関係に、犠牲となった人々の存在を示し続けている。

戦争とは何か、実感のない世代が大半を占める現代日本。憲法論議、防衛論議もかまびすしいが、戦闘戦災のすえ泉下(せんか)に身を移した人々は何を思うだろうか。

犠牲となった方々に対して、私たちは、恥ずかしくない社会を作ったであろうか。“あなた方の無念の死をおろそかにはしませんでした”といい切れるだろうか。

死者は何も語らない。慰霊堂とは、死者の声なき声に耳を澄ます場所なのかもしれない。

 

 


─終わり─
 
取材協力
神奈川県保健福祉局
 

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  • http://weekly-win.jugem.jp/?eid=46 三ツ沢の慰霊堂は、建設途中に終戦を迎えた神奈川県護国神社の予定地だったという話を見たことを思い出した。

  • 三ツ沢の慰霊堂に立つとても印象的な 避雷針のついた2本の高い塔が 何を表わしているのか 知りたいと思っています。

  • 横浜市の慰霊堂も三ツ沢にあります。

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