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アーティスト「矢沢永吉」さんは、トップスターになる夢を横浜でどのように過ごし育んできたのか、徹底調査!

ココがキニナル!

矢沢永吉さんが昔弘明寺に住んでたと聞きました。当時の矢沢さんを知る方々は弘明寺にいる?若い頃の矢沢さんがどんな方だったのか、なぜ弘明寺なのか調べてもらえますか?(yujunaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

矢沢永吉さんはアルバイト先の下宿があったため弘明寺に住んでいた。元バンドメンバーによると当時から音楽センスがずば抜けていたとのこと

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ライター:小方 サダオ

矢沢さんが活動してたころの横浜の姿とは?

つづいて川崎出身のお二人に当時の横浜をどう思っていたかを伺った。

木原さんは、「川崎は工業地帯のイメージだからね。汚い空だったし。洗練されてる流行の中心だったし、横浜にはいつでもコンプレックスを感じてた。ファッションだと元町のフクゾーとか、元町ユニオンのバックを持ってるのが流行ってた。ディスコ・アストロのオーディションがあった。バンドの出てる店にスカウトマンが見に来るんだけど。俺たちは『ダメなんだろうなぁ』って思ってた」
 


元町のショッピングストリート
 


元町のダンスホール・クリフサイド


パレスでのことだけど、中華街から若い子たちが団体で来て、曲がはじまると一列になって踊りだしたことがあった。ダンシングツアーのグループみたいので、曲がはじまると二列になって同じステップを始める。ステップがバッチリ決めるとすごいかっこいい! ハマチャチャブームと関係があったのかもしれない」と答えてくれた。 
 


横浜スタジアム方面を向いた中華街の玄武門
 

『成りあがり』に登場する中華街のレッドシューズは、今はウィンドジャマーというバーに変わった


さらに「矢沢さんがもし横浜ではなく東京から活動をはじめていたら、アーティストとしての方向性は違っていたか?」について伺った。

木原さんは、「矢沢は横浜で降りて良かったと思うな。いきなり東京だったら状況は厳しかっただろう」と答えてくれた。

次に『成りあがり』でキャロル結成後に登場する、ライブハウス・ピーナッツについて聞くと、木原さんは、
「キャバレーみたいなつくりだった。ヤマトのとき『矢沢永吉とキャロル』というグループ名で出演したと友人から聞いたことがある」とのこと。
 


イセザキ・モール内、このビルの2階と3階にピーナッツがあった


矢沢さんが食い止めようとしたという、「ヤマト」が解散を迎えた時の様子について伺った。

木原さんは、「ヤマトで活動してた時、ディスコが閉まり始めて、活動の場が少なくなっていった。 そこでしょうがないから、キャバレー・ウラシマとかキャバレーに演奏の場を変えたんだ。一年間、毎日正月休み以外は出演してた。すると矢沢が親知らずを腫らして体調を崩した。それでメンバーがガタガタになって、ドラムやサイドギターが辞めてしまった」

「代わりのメンバーを探すために、矢沢は楽器店に張り紙で募集したりした。でもなかなかいいやつは集まらなかった。そこで俺も辞めてしまった・・・。これから新しいメンバーが入ってきても、一から立て直さないとダメだと思った。矢沢が独りになっちゃうし、嫌だったんだけど、俺にはそこまでエネルギーがなかったんだ・・・」 
 


蒲田駅前のキャバレー・ウラシマがあった場所


ところで取材中、矢沢さんのファンから何度も「永ちゃんはほかのキャロルメンバーと仲が悪い」と聞いた。そのことについて伺うと木原さんは、

「それはしょうがないよ。キャロル時代になるとビジネスが絡んできた。曲を作る矢沢がリーダーで、そこにジョニー大倉(川崎出身の元キャロルのメンバー)のようなナンバー2がいれば反感持つのは当たり前だよ。その点俺たちのころは、20歳の損得のないときだった。
だから俺と藤田ともう一人の相沢(矢沢さんがソロになったときバックバンドのバンドマスターをまかされた人)の4人は、矢沢と親睦を深めて今でも仲が良いんだ。相沢は藤田と同じ神大の音楽クラブに所属してて、ギターが上手かった。木原と同時期くらいに神大の文化祭で矢沢に紹介した。
 


藤田さんの通っていた神奈川大学


ザ・ベースのメンバーが働いていた東神奈川駅前のくぼた食堂

 
俺たちは今でも年に2・3回は会って食事したりしてるよ。今の政治のこととか、普通のおじさんの話をしてるんだ」と答えてくれた。
 


お互いに初めて聞くエピソードにびっくりする場面も


最後に矢沢さんの今は若いころと変わらないかについて伺った。

藤田さんは、「矢沢はあのまんま! 今年矢沢は30代の若者を集めてバンドをやったらしいんだ。それも彼の原点回帰の形の一つなのかもしれない。今でもやる気満々の現役なんだよね。あいつ見てると芯が入るし、元気もらえるよ」とのこと。

木原さんは、「俺も昔と変わらないと思う。彼は『自分は用心深い臆病な人間だから、「どうなんだぁ? 矢沢」ってあらゆることを自問自答してる』って言ってた。怖いから不安材料をなくすことから始めるらしい。

そして矢沢さんの好きな曲をお二人に聞いてお別れをした。
木原さんは、彼の声量が発揮できる曲とのことでCCR の曲「I put a spell on you」。
藤田さんはビートルズのカバー曲「スローダウン」だった。



取材を終えて

矢沢さんは横浜と川崎に縁が深い人だ。
当時彼は「東京で降りるつもりが・・・」と『成りあがり』にあるように、「東京でトップを目指すための足掛かりとして、横浜や川崎は都合が良かった」と思ったのではないだろうか?
しかし40周年を迎え、「現役でアーティスト活動を続ける」という決意を持った時に、自分が活動を始めた地、横浜で抱いていた熱い気持ちを振り返りたくなったのかもしれない。
また夢が実現しトップに上りつめた今、「アーティスト活動とは何か?」の答えは、頂上にではなく、“自分の音楽性を作り上げていっていた経過地点”にある、と気づいたのではないだろうか?

成りあがりに登場する、“タクトの前の練習場であった食堂”なども、中華街の近くに現存している。横浜各地に点在する矢沢さんの軌跡をたどって、“横ブラ”してみてはいかがだろうか?
 

―終わり―
  

 

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  • あとは、横浜スタジアムそばの梅光亭という洋食屋さん。今は建物だけ残っているけど、その2階を借りて練習していたそう。成り上がりにも書いていたし、YouTubeで昔の戸川京子さんの番組でその洋食屋を永ちゃんが訪ねた動画がある。

  • 木原さん、藤田さん、そして相沢さん。この御三人がいなければ今の矢沢さんは無かったかもしれません。出会いは財産なんだと改めて思いますね。今でも時々木原さん、相沢さんは矢沢さんのステージで共演されますが、その時の矢沢さんの嬉しそうな笑顔と心から信頼してリラックスして楽しんで歌っている姿はファンとしても嬉しい限りです。

  • 横浜生まれの川崎育ちで横浜在住の身としては、長年のファンである永ちゃんの興味深い話がたくさん聞けて楽しかった。子供の頃、大晦日は家族で氷川丸の汽笛を聞きに行ったものだが、あの頃は素朴な街並みでイルミネーションもベイブリッジもみなとみらいの夜景も何もなくて…やっぱり自分はあの頃の静かな趣きのあった横浜が好きです。(昭和40年代)

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