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全焼した海軍料亭「小松」が歩んだ130年の歴史とは?

ココがキニナル!

燃えてしまった料亭小松について歴史や最近の事を詳しくおしえて(マイクハマーさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

1885年、横須賀市田戸(たど)に開業した料亭。横須賀海軍の将校が常連だったことから「海軍料亭」と呼ばれたが2016年5月、全焼。今後は未定

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ライター:やまだ ひさえ

海軍料亭小松を彩った将校たち



海軍料亭の女将として多くの将校たちと親交を重ねてきたコマツ。その中には、歴史に名を残した人物も少なくない。
 


東郷平八郎
 

日清、日露戦争の勝利に貢献した東郷平八郎(とうごう・へいはちろう)は、静かに酒を飲むことが多かったという。

その東郷が、清国の輸送船を撃沈したと聞いたときには、「無口な東郷さんが、あんな大胆なことをなさったのか」と、コマツは驚いたという。
 


広瀬武夫
 

「軍神」と言われた広瀬武夫(ひろせ・たけお)は負けず嫌いで、ロシアにいたときに海軍士官3人と拳闘の試合をし、投げ飛ばした自慢話をよくしたという。
 


山本五十六(いそろく)
 

山本五十六が戦死したのは1943(昭和18)年4月18日。コマツが亡くなった翌日だった。

生涯独身を貫いた小松の養女となり、二代目女将を継いだ直枝(なおえ)は、「長官の戦死も、日本の敗戦も知らずにすみ、コマツはしあわせだった」と語っている。

直枝自身もコマツの意思を継ぎ、海軍のために尽力した女将だ。

第二次世界大戦開戦直後、第四艦隊司令長官だった井上成美(いのうえ・しげよし)から、トラック諸島(現在のチューク諸島)の夏島に、下士官用の料亭を開いてほしいとの要請を受け、「トラック・パイン」を開店させている。
 


井上成美
 

戦後、小松は休業に追い込まれたが、横須賀鎮守府が進駐軍に接収されたことで、残務処理を行う場所として料亭を提供している。終戦処理のための会議なども開かれ、進駐軍も訪れたため、英語での会話が必要となった直枝たちに英会話を教えたのが井上だった。

横須賀海軍とともに歩んできた料亭小松は、士官たちの社交場でもあったため、彼らの足跡が数多く残されていた。
 


士官たちが利用したことから「長官部屋」と呼ばれた客室(撮影:のりまき
 

将校たちの遺品を飾った待合室(提供:高村聰史〈たかむら・さとし〉さん)
 

終戦へと導いた鈴木貫太郎(すずき・かんたろう)の書(同)
 

戦後の混乱期を乗り越えた小松は、料亭として再スタートをきった。創業から百年以上にわたり受け継がれてきた貴重な資料や客室はそのまま展示され、足を運んだ客なら見ることができたし、長官部屋を予約することもできたもちろん、女将や当主から話を聞くこともできた。

しかし、2016年5月16日の火災で、その全てが消失した。取材に訪れた7月初旬、火災現場では解体工事が始まっていた。
 


廃材の撤去が行われていた
 

小松は、隣接したマンションの1階に会員制の「小松遊雅亭(こまつゆうがてい)」を持っている。
 


遊雅亭は火災を逃れた
 

無事だった遊雅亭を含め、消失した料亭をどうするか。今後のことについては、まだ何も決まっていないそうだ。



取材を終えて



料亭小松は、軍都横須賀で大きな足跡を残した存在だった。

歴史的遺産は消失しても、初代女将コマツが貫いた思いは消さずにほしい。
そう願わずにはいられない。


―終わりー
 
参考資料
山本小松刀自傳
錨とパイン -日本海軍側面史ー 
横須賀市史別編文化遺産
Wikimedia Commons

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  • (フリー画像より)と書いてますが、フリー画像ではありません。Wikipediaの小松の記事の画像をそのまま転載していますが、これらはクリエイティブコモンズライセンスの下に公開されている画像です。
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  • 海上自衛官として現役だった頃、お偉いさんの会合の折、ドライバーとして小松で待機した事が何度かあった。火事で焼けたのをニュースで知って、呆然となった。

  • 向いにあった当時の南女と呼ばれる高校に通っていました。校舎も移転してなくなってしまったし、歩道橋だけしか残ってない感ですなぁ・・・。当時はあまり気にかけてなかったけど、すごい建物だったのですね。

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