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「天空落とし」で一世風靡したラーメン屋「麺処 中村屋海老名」。休業前にカリスマ店主を直撃取材!

「天空落とし」で一世風靡したラーメン屋「麺処 中村屋海老名」。休業前にカリスマ店主を直撃取材!

ココがキニナル!

90年代後半からテレビや雑誌で大人気だった、ラーメン界の風雲児と呼ばれた店主が経営する「麺処 中村屋海老名」が休業との情報。詳しく知りたい!(はまれぽ編集部のキニナル)

はまれぽ調査結果!

過去にも様々な人気ラーメン屋を取材してきたが、今回は今日のラーメンブームの立役者であり、カリスマ店主としてテレビや雑誌で引っ張りだこだった、「麺処 中村屋海老名」の中村栄利氏にクローズアップ!

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ライター:山本航


一躍、時の人となった風雲児




中村栄利(なかむら・しげとし)さんは、学生時代にアメリカ留学し、帰国後の1999年、22歳の若さで大和市に「麺処 中村屋」を開く。

味や素材のこだわりはもちろんのこと、茹でた麺を麺上げするときに、腕を真上に挙げて一気に真下に振り落として湯切りをするパフォーマンスを「天空落とし」と名づけて、人気を呼び、当時は「燕返しの麺屋武蔵ニ天vs天空落としの中村屋」と、ラーメン界を賑わせた。

カップラーメンから着想を得て独学で研究したラーメンは、どの既存店にも似ていないオリジナリティを生み出した。独立していく弟子たちにも自分自身の味を追求させていくスタイルは、瞬く間にラーメン界にその名を轟かせたのだ。

その味と姿勢を、ラーメン評論家の大崎裕史(おおさき・ひろし)氏は、こう語る。
「いわゆる神奈川淡麗系と呼ばれるカテゴリーで、旨味の相乗効果を徹底的に研究し、動物系と魚介系の組合せによる出汁をとことん追究することで、ものすごくうまいラーメンを誕生させたんです。」


ラーメン界の情報源である大崎氏(画像提供・大崎裕史氏)



初期に食したときは記憶に残らないものに感じたが、2004年に講談社「ラーメン大賞」を受賞したときと比べてみると、並々ならぬ研究と努力を積み重ねてきたのがわかったそう。

さらに、店主の中村栄利さんはラーメンの革命家とも言うべき、数々の先駆者であると語る。

「絶品と謳われる七輪を使った炙りチャーシューは、チャーシューに熱を加えることで香ばしさやさらなるおいしさを提供し、直前に炙りを入れることで温かさと香りも付加された。

経営者の才覚も長けていて、20代でラーメン店を持てる格好良さを若者に伝え、若いラーメン店主の台頭を導いた。その功績は、サッカーのカズや野球のイチロー的存在となった。


本厚木で独立予定の馬田店長さん


絶頂期には4時間並んだほどだったが、この残り香や旨みが帰宅するまで余韻を楽しめるほど素晴らしかった。」と、日本中隈なくあらゆるラーメンを食してきた大崎さんも大絶賛。

ちなみに、阿夫利山麓「ZUND-BAR」とチェーン店「AFURI」の経営者である中村比呂人(なかむら・ひろと)氏は、実の兄。兄弟揃って、神奈川県を代表する人気ラーメン屋を生み出した。


シンプル・イズ・べストの存在感




神奈川からラーメンの歴史を変えた





海老名駅周辺は、ラーメン激戦区。駅直結のショッピングモールのビナウォークには、全国の人気ラーメン店が並ぶ。


富山ブラックなど全国人気のラーメン屋が軒を連ねる


そんな海老名駅からイオンに沿って交差点を右折すると、奥に人だかりが。一見、店舗があるのを見落としてしまうほど、ネオンやのぼりなどがなく、外観もシンプルで上品な店構えだ。


ラーメンと同じく余計な施しをしないシンプルな店構え


14:30受付終了手前で、10人ほど並んでいる。さすがにここまで寒かったら人も少ないなと思ったら、ビルの角で内側に行列が曲がっていて、合計20人ほどに。


10人くらいかと思いきや…



甘くみていました



ラーメン愛と中村屋愛で寒さも何のその


雪混じりの強烈に寒いなか、最後尾に並んだあとも次々と行列が伸びていく。ようやく中に入って、さらに券売機まで行列待ち。

それでも暖かいだけで十分ありがたい。待っている間に、メニューを眺めてどれにしようか悩んでおく。できるだけ多くの人に食べてもらいたいとのことで、連食と大盛りが中止だった。


とても絞れない魅惑のラインナップ



これだけ行列なら納得


並んで待っている間、横から厨房が丸見えになっていて、いやがうえにも気持ちが昂ってくる。

ついに、食券購入の番が回ってきた!定番の「中村屋ラーメン醤油」と、具なしで出汁の味わいをじっくり楽しめる「だしかけ塩」も捨てがたいが、自慢の3種のチャーシューが乗る「特中村屋塩」に。


期待しかない眺め



冬季限定味噌ラーメンがまたそそる



券売機に到着


ご飯も人気の「焼豚のたたき飯」と並んだ末、「日替わりまかない飯 黒胡椒焼豚飯」に。

長年の常連客がたくさん最後の食事に見えられているようで、中村氏が忙しい厨房から縫って出ては、席まで出向いてご挨拶をされていた。
店内は、ちびっ子からご高齢者まで実に幅広く来店されていて、家族連れも多く、親子三代の姿も見えた。


人気のチャーシューがどっさり乗った焼豚飯



活気に満ちた満席の店内


大和からこの地に移転したときは、「中村屋essence(エッセンス)」という、レストランの形態だったが、後に現在のラーメン屋に変更された。

内装はレストランの上品で落ち着いた面影が残されて、混んでいてもゆったりと食べられる雰囲気だ。一番奥の壁沿いの席に案内され、頭上には「中村屋」の立派な看板が。


品良く落ち着いた中華料理店のような内装



真下からはカメラに収まらない大きさ


すぐ横には厨房が開けていて、じっくり様子を眺めていると、まさに中村氏が目の前で伝説の「天空落とし」を繰り返していた!あまりにも溶け込みすぎて、まったく気づかなかった。

その光景にあらゆるお客さんが魅入っていた。懐かしく感じる人や、やっと本物が見られたと喜ぶ人。そしてたくさんの人が写メや動画を撮っていた。
しかし中村氏は、パフォーマンスを披露するという素振りもなく、淡々と湯切りをしていた。


大忙しの厨房をよく見ると



いきなり天空落としが!




美しい盛り付けと計算し尽くした出汁の構造




そうこうしている間に、着丼。

芸術品とまで言われている、美しい盛り付けと澄んだスープにうっとりする。鶏ガラや魚介類の出汁と、チャーシューの香ばしさが絡まり、えも言われぬ優しく折り重なる香りのハーモニー。まさに五感を刺激する一杯だ。


特中村屋 1,150円(税込)


まずは、スープから。

まるで高級料亭ではまぐりのお吸い物を飲んでいるような、雑味がなく透き通っていながらも複雑にうまみが層を成し、優しくまろやかな味わいだ。

続いて麺をすする。崩すのがもったいないくらいに、極上なシルクのようにつるりとした心地よい細麺がきれいに折り重なっている。見事に舌を包み込んで、喉を撫でるようにほわっと通過していく。これだけ余計なものが引かれて研ぎ澄まされたスープには、細麺がよく合う。


うっとりするほどきれいなスープと盛り付け


大崎氏も手放しで絶賛の、中村屋の人気のひとつであるチャーシューは、七輪で丹精込めて炙っている。

旨みを閉じ込めたうえ、通常なら冷えたチャーシューや野菜が熱いラーメンに乗ることでラーメンが冷めてしまうが、中村屋では盛り付け直前にチャーシューを炙ることで、温かさと香ばしさを損なうことなく楽しめるのだ。

特中村屋では、豚ロース・鳥もも・豚バラと3種類の炙りチャーシューが乗っている。豚の香ばしさと甘みを堪能したあと、鳥もものもちもちした弾力と、肉に染み込んだスープの味わいがたまらない!


黒胡椒焼豚飯 380円(税込)


そして本日の日替わりまかない飯は、黒胡椒焼豚飯。

ラーメンでめいっぱい堪能したチャーシューに黒胡椒のアクセントが加わり、味変でラーメンの味も倍増する。この焼豚飯に、スープがたっぷり染み込んだ海苔を巻いて食べると、このうえない幸せが全身を包み込む。

澄んだスープと香ばしいチャーシューのコントラストが、見た目→香り→舌触り→味わいと、五感を徹底的に楽しませてくれる。しばらくの間、この味が楽しめないと思うと残念だ。感染状況が落ち着いたら、絶対にニューヨーク店に行きたい!


丼でがっつり食べたいほど美味



スープ+チャーシュー+海苔=極上の幸せ


そう思いながら食べていたら、中村氏が笑顔で席までご挨拶に。お疲れのところを貴重なお昼休みも返上して、インタビューに応じてくださった。

ご自分の店舗やメニューの追求だけでなく、ラーメン界全体の未来を考え、世界の食文化や若者の育成など、とにかく視野が広く情熱とバイタリティーの塊の方で、熱い思いが溢れ出た。



ネットやテレビがラーメンの世界を広げてくれた




ーー1月には帰国されていたのですか?

1月中に帰国して隔離期間を経て、2月2日から厨房に立っています。


ーーラーメン界で一時代を築いた中村屋さんを最後にもう一度、というお客さんがたくさんいらしてますね。

お客さんのみなさんはいろんなラーメン屋さんを渡り歩いてきたので、社交の場がラーメン屋なんですよね。昔はインターネットも普及していなかったし。

自分はカリフォルニアのサンディエゴで留学していたとき、工学部でインターネットを専攻していたんですね。それで帰国してからwebを調べていたら、日本のWebサイトにはラーメンフリークがたくさん集まっていることを知りました。

その主流は、ラーメン評論家の大崎裕史(おおさき・ひろし)さんが開設された「東京のラーメン屋さん(通称とらさん)」というコンテンツで、情報交換をされていたんですよね。(※現在は「ラーメンデータバンク」として稼働)

大崎さんがここからたくさんの情報発信と交流の場を提供したおかげで、今日のラーメン文化や横のつながりなど、ラーメンの世界が広がったと思います。ラーメンのポテンシャルを考えたら、当然のことだと思いますね。


ラーメン通の情報交換の場「とらさん」(画像提供・大崎裕史氏)



ーー日々、現場で実感されているでしょうが、和食や日本文化がなんちゃってでも集客できた時代は終わっていて、もう本物の味や技を海外でも求めていますよね。

そうですね。和食が世界遺産に登録された時点で認知度も信用もあるし、日本の飲食ビジネスがもともと経営者と食材生産者がひとつになってつくりあげてきたものですからね。

私がラーメン屋を立ち上げたのが1999年なんですが、日本のラーメンブームが起きたのが1996年頃と言われているんです。全国新旧のあらゆる名店さんがバシッと噛み合わさって黄金期を迎えたんですよね。

おかげさまでそこの波に乗せさせていただいて、創業して1年ですぐにTBSの「情熱大陸」に出させていただいて。それまでは番組視聴率1位がジミー大西さんの回で、12%という深夜では破格の大台に乗ったそうなんですよ(※深夜枠では、4%で大成功と言われている)。

それで中村屋を取り上げていただいたときは、11%だったらしいんですよ。TBSの上から数えた方が早い方々から、お礼の食事に誘われましたからねー(笑)


お偉い方々から食事に誘われたほどの反響


それと、芸能人でもないただのラーメン屋がこんな脚光を浴びたのは、TVチャンピオンの存在も大きかったですよね。

大崎さんや武内紳(たけうち・しん)さん、石神秀幸(いしがみ・ひでゆき)くんなどのラーメン評論家のみなさんが地道に活動されてきたことがきちんと見てもらえるようになって、どんどん面白い世界になってきたなー、と感じていました。

情熱大陸の出演時に、「こうして日本で頑張っているのは、力をつけたらアメリカに日本のラーメンを持っていくことが目標なんです」と話していたんですね。

それから10年くらい経った2009年にカリフォルニアに渡ったんですが、まだまだ中村屋で勉強したいいう若者が多かったので、すぐに渡米できなかったんです。本当は日本でやることはやりきったし、絶頂期で去る方が格好いいんですけどね(笑)

それまでお世話になったテレビ番組のプロデューサーさんやタレントの方々などにお礼に回って、日本の店舗はスタッフに任せて渡りました。

それでこの十数年、日本のラーメンの啓蒙活動を行ってきたので、アメリカでのラーメン人気をつくりあげてきた自負はあります。最初の頃は食材調達で鶏ガラくださいと言っても、鶏ガラってなんだ?と言われてましたからね。


信頼を寄せる日本のスタッフと



ーー当初は出店ではなく、プロデュースから始められていましたよね?

そうです。アメリカのどこに行ってもそこでラーメンの食材が手に入れられるように、一からつくりあげてきました。その地盤が固まったので、マンハッタンに出店を決めました。まずは「ラーメンラボ」という名前で始めて、次に「中村屋」で勝負しました。

そうなるまでの道のりは、やっぱりお寿司の存在が大きいですね。アメリカでお寿司といえば握りでなくカリフォルニアロールだったのが、そういう地場での文化も受け入れつつ、きちんとお寿司を理解してもらう努力をしてこられた先人の方々がいて、日本食が浸透していったことですね。


即席ラーメンの歴史はここから始まった


それとやっぱり、カップラーメンが全米に広がっていったのも大きいですよね。ラーメンというものが広く知られるようになり、それに伴ってラーメンづくりを教える人もたくさん必要となっていきました。

多いときには、CIA(カリナリー・インスティチュート・オブ・アメリカ)やル・コルドン・ブルーなど最高峰の料理学も含めて、年間50件くらい教えて回っていました。


日清「カップヌードル」が世界の壁を崩した(画像提供・セブン&アイホールディングス)


そういった、海外でラーメン屋を開きたいという夢を手助けできる喜びは大きいです。今、自分のアメリカの店舗でも日本人スタッフは1人もいません。

中南米のスタッフが一番多いんですが、彼らが母国に帰って自分たちの国のラーメンをつくり、そうして世界中でそれぞれのラーメンが広がっていくので嬉しいですね。


ーー暑い国や地域でも楽しめるラーメンとか。

ラーメンや汁物はある程度熱いものという概念は、日本や中国くらいなんですよね。アメリカでは、ラーメンは熱くなくても皆さんおいしく食べてますね。

そういった、国によって食文化や嗜好が違うので、それぞれに好まれるラーメンが広がればいいと思います。どれだけレシピを押し付けても浸透しないし、私も最初にアメリカでトライしたときには受け入れてもらえませんでした。


世界を見据えたラーメンづくり


それに例えば、中南米の人たちはいわゆるおふくろの味で育っているので、ベースがしっかりしているから変な方向には行かない安心感もあります。

むしろ北米やイギリスは外食文化で家庭の味が少ないので、それなりの指導が必要ですね。改めて日本というのは、食文化の奇跡が起きている国ですね。出汁や家庭の味があり、職人技の老舗もあるうえ、世界中の食べ物が揃っているのはすごいです。

ただ、日本の料理人を育てる教育においては、腕前の指導ばかりで経営学が追いついていないと痛感します。海外は専門学校ではなく、4年制学校。まず経営学を徹底して教えて、調理については最後の1年くらいなんですよ。でも、誰もが楽しんでいるんですよね。

経営学を学んだら、料理についてはさっさと現場に出て修行した方が学べると思うんですよね。


海外を知るからこそ見える視点


また、料理はアートだと思っているので、料理学校は芸大(芸術系の大学)と一般大学の経営学のスタンスをもっと取り入れるべきなのに、旧態依然の風潮や、世界的な和食ブームで満足している現状もあり、世界対して教育面で遅れをとっていますね。

それに、食品メーカーとの利権の問題もあります。指定された大手の食材や調味料を使って学ぶことで教育が限定されるし、今のユーチューバーのブームも、スポンサーがついているから生活できているので、きちんと経営学を身につけていません。

もっと根底から勉強させる体制をつくらないと、日本で料理人を育てるのは難しいですね。外食業界全体を見ても、ブームをつくって儲けることよりも、運営を維持できる組織力を構築する方が大事じゃないかと思います。


若手育成の問題点を指摘




五感で感じるラーメンの追求





ーー大崎さんも、出汁の追究と香味油の研究が素晴らしく、五感で食べさせるラーメンと評されていました。

僕が独学でラーメン屋を始めるときに手本となったのが、カップラーメンなんですよ。あれはすごいもので、出汁の研究が詰まって完成していて、そこにお湯を注ぐだけ。しかも食材や味覚のこだわりがしっかりある。

蓋を開けたら、粉末スープやチャーシューや薬味に液体調味料など、細かく分包されてますよね。中村屋がカップラーメンを発売したときもそこにこだわりました(※どんぶり型と縦型カップの2種を別々のメーカーから販売したことがある)。

カップラーメンはただお湯を入れて混ぜて食べるだけでなく、食材やスープや麺の香りと味の重なりを楽しむアートなんですよね。


大崎氏(左)と久々の再会(画像提供・大崎裕史氏)



ーー「タレはお召し上がり直前にお入れください」とかこだわりがありますよね。

そうそう!そこが美学であり、アートなんですよ。なんでアクをとるかというと、出汁の味をにごらせないためなんですよね。

アクを入れっぱなしの方が、味のインパクトは強くなるんですよ。ただし下品な味です。上品でいるというよりも、アクを取った方が本来の味をにごらせずに楽しめるからアク抜きは必要なんです。

日本はそういった食事の楽しみ方を、DNAとして浸透している素晴らしい文化の国です。海外ではどんなに伝えようとも、そのセンスは育てられないですね。


「中村屋カップラーメン」(画像提供・セブン&アイホールディングス)



ーー大人になってからわかる味わいとか、子どものころの懐かしい味に出会うとかありますよね。

そうなんですよ。昆布で例えると、口に含んだ瞬間の旨みは羅臼昆布。そのあとのじわっとくる旨みは利尻昆布という、同じ昆布でも違う旨みを重ねていく感覚。

それは同じ魚でも、煮干しと鰹節の使い方で層を重ねたり、塩や醤油もただの調味料ではなく、何種類も重ねて多重奏を奏でる。
そういう面白さですね。子どもには理解ができなくても、感じている。

だからいい舌になって成長するので、その良し悪しがわかる大人になれる。食べ物って素晴らしいですね。


具のないメニューの「だしかけ」はまさに出汁の自信から(画像提供・大崎裕史氏)



ーー海外で挑戦し始めたとき、どんな驚きがありましたか?

海外の人たちは、煮干しや鰹節などの乾燥させた魚の匂いがあまり好きじゃないみたいですね。アメリカのカップラーメンも、もともとアメリカにあるチキンスープをベースにして、そこに茹でた麺を混ぜたものとして、徐々に浸透していったようです。

そもそも保守的な性格の国なので、そこに日本の繊細な味覚の追求をさせても難しいし、だったらソースであろうがなんだろうが、自分がおいしいと感じてくれるラーメンの形態で楽しんでもらえればいいと思っています。

日本の味噌や醤油や塩やとんこつなどのご当地ラーメンのように、それぞれの国や地域ならではのラーメンが誕生して楽しんでくれれば、泥みたいなスープだろうが構わないです。



カップラーメンの神様から託されたバトン





ーー「カップヌードル」の生みの親である、安藤百福(あんどう・ももふく)氏にもお会いされたことがあるとか。

これは自慢のひとつなんですが、安藤さんが大阪に「麺翁百福亭」を出店されていたときに、店舗プロデュースをされていた一風堂の河原成美(かわはら・しげみ)社長が招待してくださって伺ったんです。


オープン当時の百福亭の様子(画像提供・セブン&アイホールディングス)



そのときに、2人だけになれた時間があって。そこで、「中村くんのもっともっと新しいラーメンをつくりたいという姿勢は、うちの会社以上だとも感じるので、その気持ちはなくさないでね」と、いただいた言葉が忘れられないですね。

あの方が遺した有名な言葉で「食足世平(食足りて、世は平らか)」というのがあります。食が世の中に足りていれば、争いごとなんか起こらないという意味です。

そもそも彼がそれまでの全ての仕事を投げ打って「食」に転向する決意を固めたのは、食糧難でおなかをすかせてひもじい思いをしている人々を見て、食の大切さを痛感したからでした(※戦後の闇市で寒空の下、ラーメンの屋台に行列で並ぶ人々を安藤氏が見かけて、家庭で簡単に食べられるインスタントラーメンの開発に乗りだしたといわれています)。

ただ食べ物の質を求めるだけでなく、食料不足をなくすなど食環境を良くすることや、人が食べ物を口にするときの心の豊かさと言った、「食育」というものがもっと世の中に広がっていれば、人はこんなにいがみあうことはないんじゃないかと思いますね。


安藤百福氏(画像提供・セブン&アイホールディングス)



ーーたくさんのお客さんが、中村さんにご挨拶にいらしてますね。

自分も中村屋を23年続けてきましたが、小学生だったお子さんが社会人になっていたり、親子で通ってくださっている方も多くてありがたいです。

最強のスパイスって空腹だと思うのですが、その次が思い出の味なんですよね。どんなにマズくても、「あー、マズくても懐かしい」ってありますよね(笑)

だから、思い出の味には絶対に敵いません。こうして行列のひとりひとりに、少しでも思い出の味になってもらえたのかな、と感じるものがあります。


ーーまた日本で店舗再開をされる計画はありますか?

今回の一時閉店は、この建物の老朽化による取り壊しによるもので、5年前くらい前から話しに出ていたんですよ。だから移転先も当然探していたんですが、突然の世界的なコロナ蔓延によってアメリカの外食業も大変なときを迎えています。

なので、まずは焦らず双方の様子を見ながら、いい物件があれば地元の神奈川に限らず、全国どこでも出店したいと思っています。


絶えずお客さんがご挨拶に


ニューヨークで提供しているラーメンと店構えを日本に逆輸入しようという計画も、以前から持っています。

ニューヨークだけでなく、パリのマルシェでラーメンを出したりなど、世界を回ってきたラーメン屋はそうそういないので、自分が世界を旅した軌跡がひとつのラーメンで表現できたらいいなー、と思っています。

日本のみなさんにも、「帰ってきたよー」という報告にもなりますしね。内装もアメリカの店舗と同じ、トライベッカの雰囲気を出したりとか。だから今回は移転でも閉店でもなく、一旦休業という形を取りました。


ーーでもこうして久しぶりにこのお店に戻って、お客さま方も喜んでいますね。伝説の「天空落とし」も見られたし。

嬉しいですね。でも久しぶりに麺上げをして、最初の二日間は肩がぶっ壊れましたよ(爆笑)こんな機会を与えてくれた日本のスタッフに感謝です。こうして毎日お客さまを迎えてくれていたのは彼ら日本のスタッフなんです。

そこに僕がのこのこと「アメリカから帰ってきたぜー、さあ麺上げやるか、特別ですよー」なんて威張ってできないですよ。


これが伝説の「天空落とし」!


ーー中村屋の看板を守ってくれていたんですもんね。

まさにその看板ですが(奥の壁に掲げた看板を指差して)、あれは僕の祖父が60年以上前から使っていたものなんです。


ーーえー!?

本家が農家をやっていて、ウチは分家なんですが、その野菜を卸売りしていたりいわゆる萬屋をしていたのが、中村屋のルーツなんですね。
30年くらい営業して、父の代でセブンイレブンになったときにあの看板は物置にしまっていたんです。

一時期レストアして部屋に飾っていたんですが、自分がラーメン屋を始めるときに、せっかく屋号と立派な看板があるから「中村屋」の名前でやるかと思って店に看板を飾ったら、祖父がお守りとなって大成功したんですよね。あの看板を物置から出して輝かせることができてよかったですねー。


歴史の重みを感じる




世界のラーメンの架け橋として





コロナ禍でマンハッタンでもたくさんお店が閉店していて、この2年間よく生き残ってこれたなー、と自分でも驚いています。トランプ政権以降、永住権がないとアメリカ在住は難しい。永住権を持ってまだアメリカで事業をできているのは、絶対に使命があると思っているんです。

向こうに住んでいる日系人や日本人のコミュニティを絶やしてはいけないし、その人たちのためにも僕はまだまだ向こうで頑張りたいです。


ーーリトルイタリーは、チャイナタウンがどんどん拡大してきて、消滅しかけていますしね。

もうほとんどない状態ですね。ただ、日本文化のすごいところは、現状維持の横ばいを好む性質なんですよね。

海外は税金や物価が上がっても生活が良くなるなら文句を言わないし、給料をどんどんあがればいい。でも日本人は、悪くならなければ今のままでいいと思う国民性なんですよね。

国民が騒がずに国力がずっと横ばいなのって、世界的にも珍しい。だから急に悪化することもないし、こういうコロナ禍でも大変だけどなんとか経済も生活も維持できているのはすごいです。

日本ではまだラーメンは1,000円前後が多いですが、アメリカでは2,000円以上します。アメリカの飲食店はみんな大幅な値上げをしていますね。うちの店も、日本円でラーメンは1,800円です。


海老名での特中村屋は1,150円(税込)



ーー世界的に物流も止まって大変な経済混乱が起きていますしね。

アメリカに関して言えば、人手不足が一番の原因ですね。そりゃあ、あれだけ手厚い補償を出せば、みんな無理して働かなくても生活できるからいいや、ってなりますよ。

これからアメリカは大変な転換期の時代を迎えると思います。


ーー経済と国民の生活環境が落ち着いたら、アメリカで出店やFC展開などお考えですか?

実は、他店舗展開にはあまり興味ないんですよ。綺麗事になっちゃうんですが、日本から海外に挑戦したい人の支援をできる人って限られてると思うんですよね。

それはラーメン屋だけでなく、蒟蒻屋でも豆腐屋でも、海外にも広めたいとか生産工場をつくりたいとか、そういう人の橋渡しをしたいんですね。自分の経験も役立てるし。

だから矢面に立って自分の事業拡大をするよりも、そういう裏方をしたいです。日本で店舗再開するときも、都内ではやらないでしょうね。それよりは海の近くとか、穏やかな片田舎みたいなとこがいいですね。


不在を守った店長とは兄弟のような仲


ーー最近は山奥のラーメン屋でも、行列ができる時代ですしね。

そうなんですよ。もう立地条件は関係ないですね。ただ地元にこだわるつもりもないですが、今まで中村屋を愛して通ってくれたお客さまたちもいるし、今まで忙しくしてきて家族との時間もなかなかとれなかったので、僕や奥さんの両親もまだ元気なうちに地元でもっと家族との時間を過ごしたいという気持ちもあります。

最近は、僕が若いころにアメリカに憧れを持っていたように、子どもたちも日本に憧れを持ってますよ。だから、日本に行ってみたいと思ったら、さっさと日本に行っていろいろ経験してほしいですね。


中村屋の血統が受け継がれていく



ーーでは最後に日本のファンの皆さんにメッセージを。

今まで中村屋を続けてこれたのは、お客さまあってのものです。いくら僕らスタッフが努力しても、お客さまが支持してくれなかったら意味がないです。

昔の自分は、なんでも最先端最先端と追い求めていて、この店舗も最初は「中村屋essence」という、コース料理のレストランでした。
でも中村屋のお客さま方は、新作ラーメンを出してもいつもの馴染みの味を求めるんですよね。

最後にこれだけ行列になってお越しいただいて、思い出の味にしてもらえてありがとう、という思いでいっぱいです。今となってみると、僕の追い求めていたものは最先端のものではなく、町中華のように皆さんの生活の一部になることが答えだったのかなー、と思います。


ーーお疲れのところ、お忙しい合間にありがとうございました。状況が落ち着いたら、ぜひニューヨークの店舗へ伺います。

ぜひ!お待ちしています。



しばしのお別れ





取材を終えて




全身が凍るほどのみぞれ混じりの寒さにも関わらず、行列が途絶えることなく続いていた。休業を公表してから、毎日500人以上が押し寄せていたそう。

その懐かしい味を求めてくるだけでなく、お客さん一人一人と向き合い、驕らずに温かい笑顔で迎える人柄に再会しに訪れたのだろう。それが全て、それぞれの思い出の味として残る。

そしてとにかく、出会った方やラーメンに携わる方々への感謝が絶えず、謙虚に尊敬の念を忘れないでいる姿勢に感銘を受けた。また、ラーメンを愛してやまない気持ちがビシビシと伝わった。いつかまた、この味に会えますように。

そして店長さんの新店舗も、たくさんの方に愛されていきますように!


-終わり-


中村屋公式サイト
https://www.dearest-style.com/
(現在はニューヨーク店のみ営業)


「らーめん 丸心」

店長を務めてこられた馬田紘臣(まだ・ひろおみ)氏の独立店舗
小田急線本厚木駅付近で近日オープン予定



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