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掃部山の崖下にひっそりと湧き続ける泉があるってホント?

ココがキニナル!

掃部山(かもんやま)東側の崖下に、泉が湧いている所があります。昔、この湧水を機関車に使っていたそうですが、どうやって運んでいたんですか?水道水じゃダメだったの?(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

湧水を機関車に使ってたのは初代「横浜駅」ができた1872(明治5)年ごろ。水道がなかったためトンネルで駅の近くまで流し、そこから船で運んでいた。

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ライター:橘 アリー

湧水の歴史と運んだ方法は!?



図書館などの資料で調べた内容と、資料で分からなかった「どうやって湧水を運んでいたのか」を、この地域の歴史に詳しい西区郷土史研究会の田村さんに伺い、そこからまとめた。

まずは、「水道の水ではだめだったのか」について。
冒頭で書いたように、掃部山の湧水が蒸気機関車に使われ始めたのは、初代「横浜駅」ができた1872(明治5)年ごろのこと。
そして、横浜の水道の歴史を表にまとめてみると、下記のようになる。
 


 

野毛山公園にあるパーマーの銅像

 
このように、横浜市内に水道が引かれたのは1887(明治20)年のことなので、機関車に使う水は「水道の水ではだめだった」のではなくて、「当時は水道が通っていなかったので、水道の水を使えなかった」ということになる。

次は、「掃部山の湧水の歴史」について。
これについては、残念ながらいつごろから湧いていたのか、源泉がどこなのかなどは、資料などでもわからなかった。しかし、「横浜市史稿」には、横浜開港以前から横浜市内の各所に湧水による滝があったと記されている。

それによると、掃部山の近く、宮崎町延命院不動堂の崖(現在の成田山横浜別院のところ)にも「野毛浦の瀧」があったそうだ。
そして、 延命院不動堂があった山の中腹から清水が湧きだして、滝となって落下していたそうで、この水を汲み取って船の飲料水として使っていたとある。
 


「掃部山公園」の池も、滝があったような岩の形を利用して作られている

 
そして、「横浜西区史」によると、沼や海を埋め立てで作られた横浜の市街地(関内や関外地区)は水質が悪く、井戸を掘っても水が濁っていたそうだ。
そこで、近くの山で湧いている水を運んできて、飲料水として利用していたという。
このように、埋め立てで作られた市街地の近くにある掃部山の湧水も、開港以前から湧いていて飲料水などとして使われていた歴史があると考えられる。

野毛浦が鉄道敷地用地にするために埋め立てられた後は、山の樹木の伐採などの影響により「野毛浦の瀧」も水の出が少なくなったとあるので、「掃部山の湧水」についても同じように、1914(大正3)年の掃部山開園までの間、自然の山が公園として開発されるに伴って徐々に水量も少なくなり、現在は、民家の敷地の奥からひっそりと湧き出るようになっているのではないだろうか。


桜木町駅近くにある、初代横浜駅のレリーフ

 
続いて「どのように湧水を運んでいたのか」について。
湧き水を飲料水として利用する場合は木の桶に汲んで徒歩で運んでいたようだが、蒸気機関車に使う分はトンネルを掘って水を引いたそうだ。

具体的には、民家の敷地の奥の、現在水が湧き出ている所から駅の方へ向かって6本のトンネルを掘り、当時、駅の前を流れていた桜木川まで湧水を引いた。
そして、川に流れ込む水を汲んで、そこから初代「横浜駅」までは船で運んだそうである。また、川の近くに池があり、その水も蒸気機関車に使っていたようだ。

1877(明治10)年の横浜分見地図で、桜木川・初代横浜駅・鉄道官舎などの様子を見ることができる。
 


1877(明治10)年の横浜分見地図

 
これで、「水道の水ではだめだったのか」「湧水の歴史」「どうやって湧水を運んでいたのか」について分かった。
最後に、現在はどのように水が湧いているのか、様子を伺うことに。
 


水は、どのように湧いているのだろうか!?



湧水ポイントにある会田さん宅にお願いして、湧水が出ている所を見せていただいた。

会田さんのお宅は掃部山の東側の崖に面していて、家の裏側にある崖 に、高さ2メートル幅90センチメートル位の穴が開いていて、普段は建具で塞いである。
家と崖の距離は、人が一人入って手を軽く伸ばせるくらいしかない。
 


建具を外すと
 

トンネルのような空間が現われる

中を覗くと、壁は石材ブロック積みで、下はコンクリートが打たれていて水が溜まっている。
水は石材の隙間から湧いてきているようだ。
 


底の面積は、ちょうど畳み一畳分くらいである

 
写真の下の部分が、敷地前の道路の方向で、トンネルはこの方向に向かって掘られていたそう。
現在は、そのトンネルは塞がれていて、敷地の外に流れている一ヶ所のみから水が出るようになっている。

会田さんがお住まいになっている場所は、戦後は財務局が管理していて、会田さんはお父様の代にここに移り住み、その後、土地が財務局から払い下げとなり購入したそうである。

人からは「水が湧いていていいね」と言われることがあるが、住人からすると、水が出ているのは不安であるそうだ。
大雨が降った時などは水が敷地内の駐車場まで溢れ、日常的にも、家の中が湿気がちになってしまうという。

家の裏に大きな崖があるので、地震や雨が降ったときなどは特に不安な思いが募ると話してくださった。
 


湧水の音(YouTubeへリンクします※音声が流れますのでご注意ください)

 
ひっそりと湧いている水は、傍目には風流な感じがするが、住まわれている方にはご苦労が多いと分かった。



取材を終えて



今回の取材で、以前は豊富に湧いていた掃部山の湧水が、自然開発に伴い減って行き、現在は東側の崖下に、ひっそりと湧き出ていると分かった。
自然の恵の水が、人に損害を及ぼすことなく、静かに湧き続ける様子を見守って行きたいものだ。
 


そして、掃部山公園に湧水はないが、水が湧いていたころの面影が残っている


横浜の町を蒸気機関車が走り、掃部山に豊富に水が湧いていた当時を思いながら、公園を散策してみてはいかがだろうか。


ー終わりー

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  • 「都筑のふくちゃんさん」に同感します。素晴らしいレポートです!西区の丘にある掃部山公園もなかなかです。伊勢山皇太宮、県立音楽堂と合わせて楽しみたいと思います。

  • これは素晴らしいレポートです! 横浜市北部で10数年前に市民団体が協力して探検隊を結成し「横浜丘の手湧き水マップ」を作成しました。過去の記録にある湧き水が枯れてしまったケースや、新たな湧き水を発見したケースもありましたが、昔の湧き水がそのまま現在も健在だと発見したときの喜びはひとしおでした。http://landslide.dpri.kyoto-u.ac.jp/story03.html

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