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庶民的なまち、阪東橋近辺に高級料理の代名詞であるカニ・フグ料理店が集中しているのはなぜ!?

ココがキニナル!

阪東橋近辺にカニ・フグ料理のお店が何件もある(「愛知屋」「和泉屋」「安戸屋」など)のですが、あの一帯に集中している理由がキニナル(ロイヤルさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

終戦後、カニ・フグ料理は安価であり庶民のものだった。阪東橋近辺は闇市があり人が集まる場所となったことでそこに根付いたようだ。

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ライター:橘 アリー

元は酒屋さん!?


 


創業120年以上の歴史を持つ「愛知屋」
 

陽気なご主人の飯田浩(いいだ・ひろし)さんと、魅力的なタラバガニ


「愛知屋」の創業は実に120年以上前。飯田さんはその4代目で、家の元々のご商売は酒屋さんであるとのこと。

横浜が開港した後「これからは横浜が、景気が良い!」と考えたひいおじいさんが愛知県から出て来たそうだ。

そして、現在も元町に居を構える酒屋さん「愛知屋坪崎商店」が横浜に店を出していたことで、飯田さんのひいおじいさんはそこで修行をすることになった。その後「愛知屋」の暖簾分けを受け、最初は松影町に酒屋「愛知屋」を出したのだ。
 


1900年ごろの元町の様子。手前側が元町の家並み(『横浜外国人居留地』より)


松影町というと、現在はそれほど活気のある町では無いが、当時は、横浜の港の労働者が多く住む活気溢れる町であったそうだ。

その後、終戦までは松影町で酒屋さんをしていたが、終戦後は伊勢佐木町近辺が栄えてきたので、松影町から現在の場所にお店を移転したそうである。なお、横浜大空襲で阪東橋駅周辺も焼失しており「和泉屋」も戦後に現在の場所にお店ができたようだ。
 


現在の「和泉屋」店先の様子


ちなみに、現在は、お酒の販売と飲食店は別のものであるが、終戦当時は飲食店でお酒を出すのに特別な許可が必要だったそうだ。

「愛知屋」は、元々が酒屋さんで、最初はお店でお酒を飲む人におつまみとして料理を出していた。しかし、いつしかそこから料理が主流になっていき、酒屋さんから料理店になっていったという。この、酒屋さんから料理店へと進んでいった道のりは「和泉屋」も類似しているそうだ。

「愛知屋」と「和泉屋」が、現在の場所にお店を出した戦後は、駅前や焼け野原など各所に露天商が集まり“闇市”が起こった時代である。
 


野毛界隈の闇市の様子(提供:横浜市史資料室)


もちろん「愛知屋」「和泉屋」は闇市のような違法な出店では無い。ただ、野毛や伊勢佐木町などに闇市が起こったことで多くの人が集まることになり活気のある場所となったことからカニ・フグの料理店をだしたそうである。

投稿にあった「安戸屋」にもお話を伺ったが、戦前からお店を営んでいるということ以外は教えてはいただけなかった。同様に「和泉屋」からも詳しいお話は伺えなかった。

ただ、これで阪東橋近辺のカニ・フグ料理店「愛知屋」と「和泉屋」は、元々は酒屋さんであったこと。そして多くの人が集まる活気のある場所にお店を出し、お酒のおつまみからはじまり、料理店になっていったことが分かった。

続いて、では、なぜカニ・フグ料理なのかについて調べてみた。



当時は高級料理では無かった!?
 


「愛知屋」と、道路を挟んだ所に
 

富士見川公園があるが


この場所は、以前は「新富士見川」という運河であったそうだ。
 


「新富士見川」は、「新吉田川」「掘割川」と続いて海に繋がっている


また、「新富士見川」は「大岡川」と繋がっていて、「大岡川」は桜木町方面へ流れている。
運河が水路として活用されていた当時は、桜木町の近辺に市場があり、千葉の漁師さんが船で海から運河を通って、桜木町近くの市場まで魚介類を売りに来ていたそうだ。

漁師さんたちは、市場の帰り道、売れ残った魚やカニなどがあると、しょんぼりとしながら運河を引き返していたそうである。

「新富士見川」は「愛知屋」のすぐ横だったので、そんな漁師さんを見かけた飯田さんのお爺さんは、漁師さんからカニを買っていたそうだ。

その当時のカニはワタリガニが主流だったそうだ。ワタリガニは現在のタラバガニなどのように高級なものでは無く、庶民的な食べ物であったようである。「愛知屋」も現在はタラバガニを中心とした高級なカニを取り扱っているそうだ。
 


ワタリガニ。足先のヒレで海を泳ぎ渡ることからその名がついた(フリー画像より)


一方、フグも以前は、横浜近海でよく獲れたショウサイフグなどが主流で、これも現在主流となっているトラフグなどに比べると安価なものであったそうである。

現在では高級な料理であるカニ・フグも、横浜近郊で獲れていたものが主流だった当時は、庶民的な料理だったとは、ちょっと羨ましい話だ。
 


ショウサイフグはこちら。庶民的な中型フグとして親しまれた(フリー画像より)


カニ・フグ料理は現在のような高級料理でなく、あくまでも庶民のための料理だった。だからこそ、庶民のまち、阪東橋近辺にはカニ・フグ料理の老舗が今も根付いているのだ。




取材を終えて




現在、横浜の各所にあるカニ・フグ料理店は、ほとんどが「和泉屋」「安戸屋」のお弟子さんに暖簾分けしたお店のようである。
ちなみに、「愛知屋」は暖簾分けをしていないので、阪東橋の1店舗のみであるそうだ。

そうすると、暖簾分けで発展して行った横浜のラーメンは「家系」と呼ばれるが、横浜のカニ・フグ料理店は「屋系」とでも呼べるのかもしれない。
 
 
 
―終わり―

 

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  • 安戸屋「やすどや」と読みます。先代の祖父が埼玉県秩父郡の安戸「やすど」と言う村から上京して開いたのが店名の由来だとか。そして先代の母上が女将となり神奈川県のフグ調理師免許、女性第一号取得者としてフグを扱う様になったと聞きました。戦前からの老舗なのに取材出来なくて残念でしたね…

  • 安戸屋は何と読むのでしょう。ふつうに「やすどや」? これが普通だろうけど、なんか変です。「あんどや?」 「やすとや」? で、なぜ取材できなかったのか。

  • 昔、年配の親戚の人が「子供の頃、毎日のようにフグを食べていた。貧乏だったからなあ。」と言っていました。川で釣れたのだそうです。考えてみれば工業化する前ですから川もきれいだったのでしょう。どんな味だったのか気になる〜。

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