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ココがキニナル!

太平洋戦争で戦死した伯父の遺品が資料になればと県立慰霊堂展示ホールに連絡してみたところ、寄付などは考えていないとの回答。貴重な資料が死蔵同然に扱われていることがショックです(はまっこ61号さん)

はまれぽ調査結果!

神奈川県立戦没者慰霊堂では、保管スペースの関係上、現在遺品の寄付などは受け付けていない。今後も保管スペースを拡大する予定はないという

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2017年05月29日

ライター:コハル

25歳という若さで南方で戦病死

遺品の所有者である片倉弘さんは、五人兄弟の長男として横浜市内で生を受けた。弘さん以外の兄弟は全員女子で、弘さんは唯一の男子として家族みんなに慕われていたという。

健やかに成長した弘さんは日産自動車に技術職者として入社。幼少期から手先が器用で物作りが好きだった弘さん。同社への入社は、本人にとって大変うれしいことだったに違いない。
 


凛々しい若者だった弘さん
 

しかしそんな弘さんのもとに、1942(昭和17)年に召集令状が届く。弘さんは22歳だった。召集令状を手にした当時の弘さんの心境は、いかなるものだったのだろうか。

「弘の妹である私の母も、当時のことはほとんど話してくれませんでしたから、伯父の心境はわかりません」と片倉さんは話すが、片倉さんが保管していた弘さんの出征直前の写真からは、笑顔の裏にどことなく寂しげな様子が感じられる。
 


親族で開催した弘さん(写真中央)の出征祝いの席
 

1942(昭和17)年7月に出征し、宇都宮師団の訓練生として「戦友」とともに切磋琢磨した弘さん。

当時の日記を読むと、日記の前半部分には「街へ買い物に行った」「同僚が貸したものを返してくれない。困ったものだ」など、若者らしく微笑ましい記述もちらほらと目につく。
 


宇都宮で訓練生生活を送っていた
 

その一方で、「自分はもっと努力せねば」「精神力を鍛えないと」などの記述も目につく。

やはり当時の訓練生の活動は厳しく、そしてたくましい若者たちにとっても過酷なものだったことがうかがえる。
 


自分に厳しかったのだろうか
 

そして8月24日の日記には、「同胞たちのキスカ島撤退の知らせを聞く。自分も今後どうなるかわからない」と記している。
 


日記に見える「キスカ島撤退」の文字
 

キスカ島撤退とは、1943(昭和18)年7月に行われた北部太平洋アリューシャン列島にあるキスカ島からの日本軍守備隊撤収作戦のことである。この作戦自体は「奇跡の撤退」と称されるほどの成功事例であったが、南方での相次ぐ玉砕戦を筆頭に、当時の日本軍が厳しい戦局に立たされていることを弘さんら訓練生も感じていたに違いない。

大切な仕事や友人、そして愛する家族。
 
さまざまなものを残したまま郷里を後にして、20代という若さで明日のわが身すら想像できなかった弘さん。当時の心境はどんなものだったのか、現代の我々には察することもできない。
 


22~23歳といえば、青春時代の真っただ中
 

そして1945(昭和20)年2月。弘さんがフィリピン・ビサヤ諸島の都市バコロドにて戦病死したとの通知が家族のもとに届いた。

太平洋戦争末期、ビサヤ諸島では各地に残る日本軍が連合軍の掃討作戦を受けて敗北している。日本軍は多数の死傷者を出し、生き残った者たちもジャングルに追い込まれ、大勢が飢餓と病気で亡くなった。
 


日本から遠く離れた地で非業の死を遂げた(Googleマップより)
 

家族のもとに届いた弘さんの骨壺はおそらく空っぽで、遺族は悲しみのため開けることすらできなかったという。

「伯父がいつフィリピンに発ったのか、どんな状況でどんな病気で亡くなったのか。もっと知りたいとは思いますが、残念ながら当時を知るすべはありません」

伯父の遺品がどうやって遺族に届いたのかも、片倉さんには分からないという。もしかしたら生き延びた当時の仲間が、必死で遺族のもとに運んできてくれたのかもしれない。
 


この若者たちの行く末は、どんなものだったのか
 

弘さんの死から約半年後、太平洋戦争は終わった。その後の日本はめざましい復興と経済成長を遂げ、数年後には「もはや戦後ではない」といわれるほど、戦争の影は姿をひそめていった。

しかし、弘さんを失った遺族の悲しみは消えることはなかった。弘さんの父親は弘さんの死を聞いた後に体調が悪くなり、疎開先だった茨城県で寝たきりのまま亡くなった。遺族の手記には、「弘を失って父はよほど悔しかったのでしょう」と記されている。
 


息子を失った無念さは、父親の体まで蝕んでいった
 

悲しかった、さみしかったではなく、「悔しかった」。

この言葉には、当時の国民たちの声にならない思いが凝縮されているような気がした。



遺品の寄付は現状受け付けていない

片倉さんの話を受けて、実際に片倉さんが寄付を申し出たという神奈川県戦没者慰霊堂の展示スペースかながわ平和祈念館の担当者に話を聞いてみた。
 


毎年追悼式が行われる神奈川県戦没者慰霊堂
 

かながわ平和祈念館の連絡窓口となる神奈川県保健福祉局福祉部・生活援護課担当者によると、「残念ながら現在は展示品の保管スペースが飽和状態で、保管する場所が確保できないため寄付などはお断りしている状況」とのこと。

今後も特に保管スペースを拡大する予定はないため、当面寄付を受け付けることはないようだ。
 


戦没者の遺品約200点が展示されているホール(神奈川県ホームページより)
 

「貴重な遺品を寄付したいと申し出てくださる方々には大変申し訳ございませんが、保管スペースの関係上、なにとぞご了承ください」と話していた。



取材を終えて

愛する家族を残し出征し、25歳という若さで南方で戦病死した青年。

彼の人生を忘れないためにも、貴重な遺品はぜひとも後世に残すべきだろう。個人ではなく、公的機関でこれらの遺品を保管できるようなシステムがもっと充実してくれることを期待したい。


―終わり―
 

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  • 「数年後には「もはや戦後ではない」といわれる」<<< 出典は1956年の経済白書ですね。資料保管のためのスペースの問題は、図書館等でも生じており、解決が難しいのですが、デジタルデータ化という方向で残すことができればとも思います。

  • 自分の縁者を想うのと同様に、他人の(戦争)体験にもどれだけ関心を持てるかですよね。そのような方が居なければ、現状も仕方ないとなってしまいます。

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