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岸根公園は、死体置き場だった?

ココがキニナル!

岸根公園は、戦時中は死体置き場だった?(doramucanさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

朝鮮戦争とベトナム戦争時に米軍の基地があり、1966年から病院もあった。国内に死体処理施設はあったとされるが、岸根がそうであった確証はない。

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ライター:吉岡 まちこ

ベトナム戦争時、岸根基地は病院になった (つづき)
 


昭和45年、地元住民を交えた岸根基地接収解除陳情
(『大倉山論集』第58号より転載)


そして病院は、世界各国で大規模な反戦活動が起こる中、停戦に向けた動きに呼応して1970(昭和45)年に閉鎖。稼働は2年にも満たなかった。

1973(昭和48)年、ニクソン大統領は派遣したアメリカ兵をベトナムから撤退させた。そして長年の返還交渉が実り、岸根の接収の歴史も幕を閉じた。
 


昭和48年8月、岸根基地返還式。日本人の姿も見られる
激動の20世紀を残す写真集『わが町の昔と今 第8巻港北区続編』から
(写真提供/横浜市港北区岸根町 海老沢一夫さん)




おしまいに



岸根の農地へのヘリ墜落の話について、大倉精神文化研究所の平井さんは「あるいは不時着だったのか、まだ調査中です。でも実際に横浜でも悲劇は起きています」と言う。

1977(昭和52)年、厚木基地を離陸したファントム機が炎上。乗員2名は脱出したが、機体は青葉区荏田北の住宅街に墜落し、3歳と1歳の男児は翌日死亡、母親は全身やけどの後4年後死亡した。遺族から寄贈された母子像に事故を語る碑文は許可されず、像の設置から21年たってようやく許された。
 


港の見える丘公園のひっそりとした場所から海を見つめる「愛の母子像」
 

2006年にやっと許可された碑文


横浜市政策局基地対策課により交渉が重ねられ、米軍施設は6つを残すのみになったが、面積では当時の3分の1強がいまだ返還されていない。

“戦中”というと昔のことと思いがちだが、日本が関係していた戦争が身近にあったことに驚いた。


― 終わり ―
 

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  • 母がベトナム戦争当時、この106病院で医療秘書をしていたので、子供の頃よく話しを聞きました。記事を見せたら写真や見取り図を見て懐かしんでましたよ。まあ記事自体は、急に米軍ヘリ墜落の話しを出してみたり、「理不尽な戦争への荷担」だのバイアスかかりまくりで、当時必死で人命のために働いていた人にとって不愉快極まりないものでしたけどね。

  • オスプレイの記事を個人的に探していましたが、ここには出ていませんよね?今までのコメントと矛盾すると、キツイツッコミコメントが来そうですが、平和ボケと中国北朝鮮支持派はまったくの別物かと、無理矢理核武装して国民に木の根っ子を食わせている思想はむしろ平和ボケと対局の思想かと、…オスプレイは自然災害でも活躍しそうだし、メカ好きにとっては飛行機とヘリコプターの良いとこ取りなので夢の乗り物だから安易に嫌いになれないんですよね。

  • 1969年生まれで現在も周辺に住んでいますが、小学生に入る以前の記憶では岸根公園の周りは有刺鉄線で囲まれていて、かなり不気味な雰囲気だったのを覚えています。また友人の中には米軍相手に飲食店などを営んでいた家族もいて、幼ながらに軍服を来た米兵をよく目にしていた記憶もあります。現在はキレイに整備され桜の時期や休日には家族連れで賑わっていて当時の面影はほとんどありませんが、当時を知る者としては正直自分の子供はあまり連れて行きませんでしたね…

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