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旅館大好きっ子、ライター松宮が磯子区にある創業68年の「旅館 磯一」に突撃!

ココがキニナル!

磯子区久木町にある「旅館 磯一」がキニナリます。どんな人が利用していて、料金はいくら?戸塚・弘明寺に続いてこちらもお願いします。(いちごちゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

「旅館 磯一」は1946年創業。客層は工事関係者など、仕事で利用する人が中心。料金は1泊2食付で6000円と格安。ご飯がとても美味しく癒された!

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ライター:松宮 史佳

戦前の超セレブ伝説



美味しいご飯をいただき、大満足の松宮。まずは美代子さんの旧姓である保田家の歴史から伺うことに。

美代子さんのお父さん・保田一之さんは大和市の農家出身。一之さんは幼いころより奉公に出された。働きながら「何かやりたい」とコツコツと給料を貯め、伊勢佐木町に洋品店をオープン。事業は成功し、4店舗を経営するまでに。

1923(大正12)年、関東大震災で本牧にあった自宅が全壊。現在地の中浜町に引っ越しした。当時周囲は猟師町でほとんど長屋。そんな中、保田家の屋敷には築山(石や土で造った山)や池があったという。
 


当時は八幡橋近くに市場があり、賑わっていたそうだ


戦前はまだまだ電話や自家用車がめずらしい時代。しかし、保田家には電話と自家用車があった。この辺りでは「うちが最初に自家用車を買ったみたい」と美代子さん。ちなみに車種は「ベビー・フォード」。オーダーメイドで「ボンネットに父の店の屋号をかたどったエンブレムが付いていた」とのこと。

当時は車に乗っている人がほとんどいなかった。そのため、すれ違う車もなく、「逆走しても気づかなかった(by美代子さん)」というエピソードも!

やがて戦争の影が色濃くなり、自家用車は陸軍に寄付することに。最後に「これが最後だよ」と一之さんが言い、熱海へ旅行に行った。戦時中、空襲を受けたが、庭に防空壕があったため、「避難せずにバケツリレーで火を消した」と美代子さん。自宅は焼け残った。
 


戦後の興味深いエピソードが炸裂!



戦後は多くの人が焼け出された。そのため、大きな豪邸は「焼け出された人々を住まわせよ」と押収されそうに。当時、商売を営んでいれば住宅を押収されることはなかったので1946(昭和21)年、「旅館 磯一」を創業。

ここで、美代子さんは1946年当時の貴重な旅館営業許可書(コピー:オリジナルは紛失)を見せてくれる。「おお~!」と思わず歓声を上げる松宮。
 


当時の営業許可書(以下、許可書)は筆書きで書いていたのだ!


そのころ、許可書は「警察に届け出ていたのよ」と美代子さん。当時は「どんなお客さんが泊まるか」警察が確認していた。なので、宿帳(お客さんの名前を記入したもの)を「毎日警察に届けに行き、判をもらっていた」そうだ。当時のお客さんは工事関係や行商人が多かったとのこと。

ある日、“横山金造さん”という人が宿泊した。しかし、美代子さんのお父さんは間違えて“横山”を“横浜”と宿帳に記載。警察は「横浜で“金を造る男”とはアヤシしい!」と「旅館 磯一」に見に来たんだとか! おもしろすぎるエピソードに思わず噴きだしてしまう。
 


3年後の1949(昭和24)年には、神奈川県に許可書を出すことになった
 

現在の許可書はかなりカラフルに!


磯子区出身の大スターといえば、歌手の美空ひばり(1935~1989)。美代子さんは地元・磯子区のお祭りで歌うひばりさんを見たことがあるとのこと。ひばりさんは幼いころから歌がうまく、顔は子どもだけど、歌は大人みたいにうまかったそうだ。
 


磯子区とともに歩んだ歴史



磯子区・根岸湾では、底引き網漁による近海漁でカレイ、イカ、アナゴなどを漁獲していた。しかし、明治から大正にかけ、屏風ヶ浦海岸沿いの埋め立てが行われた。名前の通り、屏風を立てたような海岸線は美しかったが、断崖で海が迫り、通行の妨げになっていたようだ。
 


磯子区(磯子区役所HPより)


戦前までの磯子区は高級住宅(別荘)地、海水浴場、海苔の養殖などで知られていた。
だが工場と根岸線誘致が考案され、1956(昭和31)年、横浜市会が根岸湾の埋め立てを決定。1959(昭和34)年から埋め立てが着工され、5年後に完了した(磯子区役所HPより)。
 


根岸駅前にひっそりと佇む埋め立ての記念碑
 

現在、工場が立ち並ぶ地域は「昔、海だった」(八幡橋より撮影)
 

磯子区・海岸線の変化。段々と海岸線が狭まっていくのがわかる


「旅館 磯一」は埋め立てや工場誘致に携わる人々が多く宿泊し、大繁盛した。昔や今のように交通網が発達していなかったため、遠方から泊まりがけで(仕事へ)来ていたのだ。
 


1964(昭和39)年5月19日に開業した根岸駅ももとは海


「旅館 磯一」は今年で創業68年目。客層は以前と変わらず、工事関係者など「ほぼ仕事関係の人」。宿泊料は一泊素泊まりで5000円。2食付きで6000円と格安だ。家庭的なご飯がとても美味しいので、“2食付き”で宿泊するのがおすすめだ。

1946年の創業以来、増築を重ねた「旅館 磯一」。残念ながら、老朽化により美代子さんの生家だった本館、後に増築した別館は2013(平成25)年に取り壊したとのこと。
 


取り壊した本館・別館はマンションに
 

現在残るのは新館1階・2階のみ


真新しく見える新館だが、建てたのは20年ほど前。新しく見えるのは「ほとんど使ってなかったから」と美代子さん、ところで、ビジネスマンにはありがたい“机”は「数週間前に購入した」とのこと。歴史ある老舗旅館ながらも、時代のニーズを取り込んでいる姿勢がうかがえる。

興味深いお話を伺い、気付けば22時半。美代子さんとスタッフの方にお礼を告げ、立ち去る。
 


“明日へのパワー”をもらえる旅館



部屋に戻り、久しぶりに布団を敷く。
 


と、いっても“スライド式”なのでとっても楽!


お風呂に入り、自宅よりもくつろぐことができた。

・・・翌朝。
 


7時半に2階の食堂へ
 

純和風の朝食


ご飯が美味しく、またおかわりをしてしまった。
 


取材を終えて



「旅館 磯一」は快適な空間と美味しいご飯をリーズナブルに提供してくれる旅館だった。また、保田一族の歴史を伺うことができ、とても興味深かった。「旅館 磯一」は磯子区の埋め立ての歴史とともに発展したのだろう。

今後も旅館を継続し、旅人の心を癒してほしい!


―終わり―
 
旅館 磯一
住所/神奈川県横浜市磯子区中浜町17-32
電話番号/045-751-2774
 

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  • 泊まったことはありませんが、実家のすぐ近くにあります。家を出てから10数年たちましたが、急に旅館磯一が気になって検索したところ、こちらを発見しました。部屋の様子だけでなく、歴史も詳しく書かれていてためになりました。どうもありがとうございました。

  • 手作り感あふれるおかずがウマそう。 ご飯バンバンおかわりして食べたい。 

  • 松宮さんとお泊りしたいです。

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