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横浜のココがキニナル!

称名寺の裏山にある八角堂に地下へ続く入口?がありコンクリ密閉されてます。北条実時の逃げ道で抜け穴出口、住職の修行場、地下墳墓とか噂があり。いつ頃何に使われ、何故コンクリ密閉されたのか(dajaさん)

はまれぽ調査結果

八角堂には約35年前まで地下室に通じる階段があったが、災害防止を理由に密閉。地下には抜け穴出口はなく納骨室があり、住職の修行場ではなかった

ライター:小方 サダオ (2017年07月17日)

八角堂と洞窟の様子とは

しかし境内にはほかにも隧道もしくは洞窟と思われるものがあり、「抜け道」についてさらなる想像を膨らませてくれる。

 

東側の隧道のさらに東側にも開いた穴があった
 

そこで郷土史家の酒井宣子(さかい・のぶこ)さんに話を伺うことにした。

まずは百観音開眼式について伺うと「百観音開眼式は、僧侶が約50人も参加する盛大なもので、一般人の女性は髪を結い正装して参加するものでした」という。

 

1935(昭和10)年の写真。百観音開眼式は多くの僧侶が参加する盛大なものだった
 

多くの人でにぎわっている
 

八角堂については「堂内には、大柄な人がやっと入れる程度の穴が開いており、そこにある階段を下りると、人一人が立てるくらいの高さの地下室に、大橋氏親族の納骨を収納するコンクリート製の棚がありました」という。

 

堂内には床に穴(青矢印)があり、地下室に下りる階段があった(酒井さんが書いてくれた図)
 

「八角堂と百観音巡礼コースが完成したものの、6年後に第二次世界大戦が開戦し、この山々が軍用地となりました。称名寺は軍人の寝泊りする場所になり、一般人立ち入り禁止となりました。そのため1935(昭和10)年に完成して約6年間しか巡礼者は訪れませんでした」

「開戦時に八角堂のご本尊は本殿内に収められ、また地下室にあった持仏堂は大橋邸内に移されたため、八角堂の中には何も置かれなくなりました」と話してくれた。

 

称名寺の裏山は軍用地だった
 

1955(昭和30)年ごろ、集められた百観音石仏(史跡称名寺境内 横浜市教育委員会文化財課編)
 

「また戦後しばらく経ってからだと思われますが、山火事が頻繁していたことやお堂内に不審者が入ることを防ぐために、八角堂内の地下室へ繋がる穴はコンクリートで固めたのです」とのことだった。

 

かつて境内にあった浅間神社は火事で焼け、祠だけが残っている
 



鎌倉からの道と海への道

前出で地元住民が噂として話していた「洞窟が『鎌倉』に続いている」というのは、称名寺は鎌倉幕府の要人が建てたものであることから、その可能性は分かるが、「海へと繋がっていた」というのはなぜだろうか。

その答えとなりそうな内容が『かねさわ物語』に記述があった。
『かねさわ物語』には、金沢の六浦は遠浅で船の発着に便利な場所であり、鎌倉時代軍事上重要な地だったという。また、房総半島には鎌倉幕府の味方である千葉一族が控えていることもあり、幕府が危険に瀕した際は、鎌倉の海から逃げるよりも、一山越して六浦津に出るほうが、容易に房総方面に入ることができたというのだ。

 

鎌倉八幡宮(緑矢印)と称名寺(青矢印)
 

そのことから、鎌倉時代から鎌倉と称名寺は結ばれており、その際に隧道が使用されていたことで「海へ繋がる逃げ道」と噂されたのかもしれない。



海沿いにあった洞窟

そこで称名寺の山を越えた海側に洞窟はなかったのかと、小柴漁港に近い金沢区の柴町を散策した。すると長年漁師をしていたSさんは「称名寺の裏山の海岸沿いにはコウモリの住む洞窟が2ヶ所ありました。先輩からは『これが称名寺の洞窟と続いている』という話を聞いていて、直径2メートルほどの穴が開いていましたが、天井が崩れていて入れませんでした」という。

 

昭和30年ごろ、洞窟の近くで撮影したSさんたち
 

「また柴町には東と西に岬がありました。子どものころは、東と西の街の境目あたりで、お互い対抗意識をもった子どもたちが、お互いに岬の古い洞窟のことを指して『東のボロ穴!』『西のボロ穴!』と歌って囃し立て合っていました。当時は、称名寺に近い西側の岬には2ヶ所、東の岬には1ヶ所の洞窟がありました」と答えてくれた。

 

称名寺(青矢印)、海沿いの洞窟(青・緑丸)、東の岬(赤円)と西の岬(黄円)(三千分一地形図・昭和40年)
 

称名寺近くの海側にも洞窟が存在していたことで、「武士の海への抜け道」と噂されるもとになったのかもしれない。

 

称名寺(青矢印)の隧道(紫線)から海沿いの洞窟(青・緑丸)に繋がっていたのだろうか?
 

最後に金沢土木事務所に「海につながる隧道」について伺うと「洞窟が海に繋がっているという情報はありません」とのことだった。



取材を終えて

称名寺の洞窟が海へと繋がっていたという噂については分からなかった。しかし、鎌倉幕府とその味方である千葉一族との結びつきを感じられる調査であった。

また北条実時・大橋氏ともに図書館を創設するなど文学に造詣が深く、実時の屋敷内の持仏堂から発展したのが称名寺で、仏教心が強かった大橋氏の持仏堂として作ったのが八角堂だ。2人の人物には共通点が多かったようだ。

 

大橋氏の持仏堂としての目的もあった八角堂
 

 
-終わり-
 
 

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cranialgeeさん2017年10月29日 07時12分
1971年位に、八角堂の称名寺とは反対側のふもと、西武不動産の建売住宅に棲みついた者です、当時小学生で、八角堂は恰好の遊び場でした。あの山は地元では「坊主山」といい、俗称でしょうが、泥亀町辺りの友達にも通じました。地下へ通じる階段は当時既に塞がれていましたから、副住職がおっしゃる、35年程前に入ったというのはもっと前のことだと思います。もう歳で、あそこに登るのは諸事情で無理ですが、あの場所の素晴らしい眺めはずっと記憶に残っております、海と千葉方面、三浦半島方面、富士山方面、すごいのです、皆さんにもあのパノラマを観てもらいたい。
そう思う 2 そう思わなかった 0
ushinさん2017年07月17日 22時23分
SFでも地底人とか、得体の知れない者のすくう場所「地下」普通に暮らしていては知る由もなく、またそのような大仕事は権力を持つものにしかおそらく無理なために、度々、陰謀めいた地下空間インフラの噂は立つ(というか、そういうことをふれ回るトンデモさんが出現する。秋葉俊とか秋葉俊とか秋葉俊とか・・・w)担当者があきれて辟易した顔を見て、「図星を突いた!」と勘違いする能力が優れていて、「何かを隠していて慌てている顔」に見えるらしい。ところで富士山の風穴から横浜市西区の浅間神社の洞窟につながる地下道は今どうなっているかすごくキニナル(笑)
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