県内に複数ある「熊の堂」という地名の由来と共通点は?
ココがキニナル!
横浜市営バス36系統の「熊の堂」というバス停の名前が気になります/江ノ電バスにも「熊の堂」というバス停を発見。いかにも怪しいバス停に共通点はあるの?(タラちゃんぷるーさん、茱萸澤村民さん)
はまれぽ調査結果!
神奈川県内で見つかった3ヶ所の「熊の堂」の地名は、「熊野信仰」に由来していると思われる。また、それぞれの地形にも共通点が見つかった
ライター:小方 サダオ
神奈川県では熊野信仰が盛んだった?
最後に神奈川における熊野信仰について、文献『聖地への憧れ』で興味深い記述を見つけた。
「横浜市では、宝生寺(※横浜市南区にある神社)は初期には『熊の堂』と呼ばれていた時期もある。根岸、蒔田あたりまで入江が入り込み、湾を望む地形だ。また師岡熊野神社は1300年祭を迎える関東熊野神社の拠点。鶴見川が周囲を還流する小高い土地にある」とある。
南区堀ノ内町にある宝生寺
入り江や鶴見川など、地形について言及がある。これは、聖地・熊野への畏敬の念が熊野信仰の元であることに関係している。
和歌山県の熊野古道(フリー素材より)
「名取(※宮城県名取市にある熊野三山を再現した東北の熊野信仰の中心地)に見られるような、熊野那智、熊野新宮、熊野本宮といった神社のあり方は、熊野信仰が勧請された土地では珍しくない。本来は自然神に対する畏敬の念が信仰の元。同様な地形を探し求めてそこに熊野三山を勧請した。名取の熊野三山は太平洋から名取川をさかのぼり、高舘(たかだて)山のふもとに至る地に熊の堂の地名が残る。紀州熊野の地形になぞらえている」。
熊野信仰が広まった12世紀~16世紀ごろは、交通はまだ発達していない。紀伊半島の南端にある熊野三山への参詣は、容易なことではなかっただろう。
「そこで人々は熊野三山そのものを自分たちの土地に移してしまおうと考えた。重要になったのが『熊野の地形になぞらえる』こと」。
今回取材した3ヶ所の『熊の堂』も、確かに山と川に囲まれた地形であった。これらの地形を現地の熊野信仰の信者は、聖地・熊野三山に重ねたのだろう。
神奈川区「熊の堂」(青矢印)の近くには烏山川が流れる(Googlemapより)
戸塚区の「熊の堂」(青矢印)の近くには柏尾川がある(Googlemapより)
近くを渋田川が流れる伊勢原市の「熊の堂」(青枠、Googlemapより)
取材を終えて
全国各地の字名「熊の堂」は、本拠地である和歌山県の熊野三山に憧れ、その再現を現地で試みた人々の思いの残った地名といえる。神奈川区の「熊の堂」の近くに富士講の聖地・富士山に見立てた富士塚が作られたのは、地元の人の修験道として共通する二つの信仰心が重なった場所なのではないだろうか。
富士塚の山頂からの眺め
-終わり-
参考文献
「富士講と富士塚」(横浜市史資料室・平成21年)
「神奈川県の地名」(金子勤著・平成20年)
「舞岡の民俗」(まいおか水と緑の会・昭和63年)
「伊勢原町勢誌」(伊勢原町・昭和38年)
「聖地への憧れ」(神奈川県立歴史博物館・平成17年)
タラちゃんぷるーさん
2018年05月16日 17時57分
調査依頼したタラちゃんぷるーです。丁寧な調査とリポートに深く感謝いたします。実はこのキニナルを投稿したときは、まったく熊野のことなど頭の中になかったのですが、このキニナルを投稿した翌年春から、熊野を巡礼する流れになりました。これまで4回熊野に滞在していますが、数日前に4回目の熊野の旅を終えて戻ったばかりです。そんなタイミングでこのような内容のリポートが届いたことに驚きました。今後も熊野に行く予定です。どうもありがとうございました。
ヨリアキさん
2018年05月01日 20時35分
記事内にあった「七富士参り」も興味あります。