神奈川区新子安の駅に、かつての「万世橋駅」資材が使われていた?!
ココがキニナル!
JR東神奈川駅の駅舎は、関東大震災で壊滅した東京の万世橋の駅の駅舎の資材を活用して建築されたと言われているが、具体的な内容を知りたい。(mimichanさん)
はまれぽ調査結果!
万世橋駅の資材が活用されたのは、どうやら京浜東北線「新子安」駅。開業時期が終戦間際で金属部品が不足していたため、廃止する万世橋駅から使えるものが流用されたと考えられる
ライター:はまれぽ編集部
万世橋の資材はどこに?
産業道路の陸橋から駅の外観を見てみる
そこまで古い資材は見当たらないが・・・
よくわからない!
駅構内でも確認したが、目に見て分かるような遺構や古い資材は見つからなかった。そもそもどれくらいの資材が、どこに使われていたのだろう?
1977年ごろ、国道一号線から見た新子安周辺の様子(神奈川区地域写真アルバムより)
またまた東日本鉄道文化財団の担当者にうかがってみることにした。
具体的に万世橋駅から新子安駅に使われた資材がなんだったのかを問い合わせてみると、
「何がどこまで使われたのかまでは、把握できていないんです」との回答をいただいた。
戦争末期、日本全体が「モノ不足」に陥っており、万世橋駅の資材を新子安駅に使ったのも、不足を補うための苦肉の策だった。特に不足していたのは金属部品で、「金属類回収令」という勅令によって、家庭にあるヤカンからお寺の鐘まで、国に提出しなければならなかったような状況。新しい駅のためとはいえ、金属製品を用意するのは非常に難しい時期だったのだ。
金属類回収令により供出される土浦国民学校の校門
金属ならなんだって貴重な時期だったといえるが、駅舎そのもに使う資材は建築ごとのオーダーメイドなので、基本的に流用は難しかったのではないかと考えられるそうだ。あくまでも使えるものを使った、というのが実情とのこと。
一方で、「憶測の域を出ないのですが、当時の有人改札で使っていた改札鋏(かいさつきょう)や、切符を手売りする際に日付を印字する『ダッチングマシン(デイティングマシン)』のようなものは、どの駅でも使われるものなので、新子安駅で活用された可能性があると思います」とも教えてもらえた。
自動改札機の登場で役目を終えた改札鋏(改札パンチとも)
また、やはり金属不足だったので「金属バケツなどの日用品についても、万世橋駅が廃駅になれば必要なくなるので、そういったもろもろを全般的に持って行ったのではないでしょうか」とのこと。駅の業務で使うような金属類は、万世橋駅のものが流用されていたと考えてよさそうだ。
この屋根も、もしかしたら・・・?
新子安駅は開業以降、大規模な立て直しなどは行われていない。もしも当時、駅舎に使われた万世橋駅の部材があったならば、それはそのまま残っている可能性もある。
日常に使う駅にも、思いがけない歴史が隠されている。新子安駅を利用する際には、「もしかしてこの部品、万世橋駅から来たのかも?」と想像してみてもらいたい。
ー終わりー