九養塚、十三塚・・・「小机の合戦」由来の地名を探る旅
現在、南神大寺団地がある一帯は、団地が建つ以前は畑が広がっていたといいます。そして、当時はその畑の中にこんもりとした塚が三つあったそうです。じつはこの塚、昔このあたりで合戦があった時に、戦死者を弔うために造ったものらしく、もともとは九つあって、「九養塚」と呼ばれていたそうです。三つ残されていた塚も団地造成の際に壊されてしまい現在ではどこにその塚があったのかも分かりません。詳しく調べてみませんか?
ねこぼく さん
2019.11.10 AM10:57